前の日記からの続き。
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豊川閣略縁起
1441年(室町時代前期・嘉吉元年)、旧暦十一月二十二日、永平寺御開山道元禅師の法嗣、寒巌義尹禅師から六代目の法孫、東海義易禅師により、曹洞宗の寺として開創された名刹であります。
本尊は寒巌禅師伝来の千手観世音菩薩であり、鎮守として同師が感得された自作の通称豊川稲荷で親しまれる、豊川叱根真天を祀っております。寒巌禅師が1264年(鎌倉時代中期・文永元年) 求法のために入宋し、1267年帰国の折、乗船中、妙相端麗、稲穂を荷い、宝珠を捧げ、白狐に跨がるお姿の霊神が海上に現われ、御神示賜わりました。禅師は深く感動され、帰国の後、示現のお姿を手ずから刻まれ、終生守護の善神として祀られました。これより後に法孫、東海義易善師が、この豊川の地に円福山妙厳寺を開創され遷座いたしました。
その後、幾多の霊験を現わされ、福徳を授け抜苦与楽の神として、広く人々に信仰されてまいりました。又、当時開基の今川義元公を始め、安土桃山時代においては織田信長、豊臣秀吉、九鬼嘉隆、江戸時代では徳川家康、大岡忠相、渡辺華山、近世においては、有栖川宮家等諸公も熱心なご信仰者であり、殊に有栖川宮家より「豊川閣」の篇額を寄進いただいたことから、当山を豊川閣とも呼称する様になりました。
北より札幌、東京赤坂、神奈川県横須賀、静岡、大阪、福岡等に別院を置き、全国到る処に分霊も奉祀されております。江戸時代の名奉行大岡越前守忠相公が生涯の守護神とされた尊像は、今日、東京赤坂別院に奉祀されております。
現在境内はおよそ三万四千九百坪(十一万五千四百平方メートル)、伽藍は大小百余有り全国百万人のご信仰の霊地となっております。
豊川叱枳尼真天の御神示の中にある「俺尸羅婆陀尼黎吽娑婆訶」えお要約すると「此の神咒(呪文)を唱える時は、わが信心は何処までも通じて正しき戒力により悪事災難は除かれて、福徳智慧を賜わり、苦を抜いて楽となし、悲しみを転じて喜びとなすことが必らず成就する」という意であります。此の神咒こそ豊川叱枳尼真天の生命であり、精神であり、誓願であります。
◆庚申塔・常夜燈
江戸時代に盛んになった民間信仰の一つに庚申信仰があります。 六〇日ごとの庚申の日の夜、眠っている人の身体から三戸という虫が脱け出てその人の罪を天帝に報告する、という道教の思想からき
ています。 そこで、人々は庚申の夜には儀式や宴会をしてすごしました。庚申供養塔はその信仰を表すもので、江戸時代中頃から造立が盛んになりました。
右側の庚申塔は宝暦七年(一七五七)の造立で「南保谷村、田無村道、西前沢道、東清戸道」の銘文があり、道標をかねていたことがわかります。
常夜燈
左側は、文化元年(一八〇四)造立の常夜燈です。
◆老松橋
下は落合川。
◆竹林公園の湧水(東京の名湧水57選)
別のページで。
2023/02/06 竹林公園の湧水(東京の名湧水57選) - ovanの社会科見学
◆たての緑地(武蔵野鉄道引き込み線跡)
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2023/02/06 たての緑地(武蔵野鉄道引き込み線跡) - ovanの社会科見学
◆西東京市デザインマンホール