2023/02/08 多聞寺(共立学校跡)



当山は今を去る七百五十年元仁年間の草創にして天満宮を安置して梅本坊と号したり八百年の後祐上人住するに及び毘沙門天を本尊とし宝塔山吉祥院多聞寺と寺号を改めたり天満宮は今尚本堂に祀られ学問の神として参詣者も多く毘沙門天七福神の一に加くられ除災招福の功徳広大無辺なり




◆薬師堂




◆石塔

青面金剛ではないしなんの像だろう?




六地蔵




◆観音像




◆観音像




◆共立学校跡



 共立学校は、明治十八年(1885) 十月、当時南沢六七三番地であったこの場所に開校した公立小学校です。
 前年、前沢に開校した成蹊(せいけい)学校の通学区域が東久留米の西側であったのに対し、共立学校は東側の南沢村・小山村・門前村・落合村・神山村・栗原新田などが通学区域でした。
 明治三十九年(1906)に成蹊学校と共立学校が合併して、前沢(現第一小学校の向かい側)に久留米尋常高等小学校の本校が開校し、当初の共立学校は東分教場として使用されました。
 当時は、校舎の前に二本の大きなヒバの木が校門のようにそびえ立っていたといわれ、この木がそのうちの一本です。





◆江戸彼岸桜



 『江戸彼岸櫻』の特徴は、染井吉野櫻 (寿命 一〇〇年~一三〇年)など、他の櫻に比べ、寿命が一〇〇〇年以上と著しく長寿であることです。
 この観音櫻、薬師の両樹の原木は、山形県白鷹町高王に在する薬師堂前の長寿の銘木『白鷹の櫻』(日本の櫻百選)のひとつです。
 同所在住の金田聖夫氏は、千年の命と言われるこの銘木の命を後世に伝えるため、『白鷹の櫻』の種子を蒔いて作った台木に親木の芽を掻いで、親木と全く同じ遺伝子を有する分身を育てることに成功しました。
 この両樹は同氏が育成した分身であり、その姉妹樹は東京では新宿御苑高幡不動の二箇所のみにしか存在しない貴重な樹木です。
 平成十五年(2003年)五月、当時ボーイスカウト東久留米第一団の育成会役員であられた村上義光主房ご夫妻のご尽力から、日本桜の会』(会長: 衆議院議長 河野洋平氏)のご好意によりこの地に植樹されました。
 この両樹は『観音櫻(向かって左)』、『薬師櫻(向かって右)』 と、当山多聞寺住職、番場憲雅氏によって命名されました。




◆都天然記念物 多聞寺のクロマツ

おそらくもうクロマツはないんだろう。
この脇に飾られている丸太がそうだったのかな?



判読できない文字が多数あるため文字化を断念。




◆寶塔会館




◆家守地蔵




◆観音像



◆文字庚申塔

2023/92/18撮影。
こちらは撮り忘れてしまったので、後日来訪。





◆山門



 江戸時代の嘉永五年(1852)ごろの建立と考えられます。また、天保年間(1830~43)に材木を落合川に流して江戸に運び獅子の彫刻を彫らせたとも伝えられています。
 総欅造りの四脚門で、屋根は銅板茸。禅宗様を主とした折衷様で造られています。控え柱(細い柱)
上部の獅子鼻(獅子の形をした飾り)や妻(横側)の海老虹梁(中央が上に湾曲した梁)の彫刻はすばらしく、江戸時代末期における地方の建築技術の特色を示しています。また、柱の上部は二手先(二段組)の斗栱(]の形をした組み手)で大きな屋根を支えており、重厚な趣を感じさせます。




◆参道入り口





◆2023/02/18撮影の山門



梅が綺麗に咲いていた。




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