2023/03/04 東村山八坂神社




 祭神は素盞嗚命牛頭天王)である。
創立は別当正福寺の火災で記録が焼失し詳らかでないが正福寺の建立された弘安元年(1278)から間もないころか、または国宝正福寺千体地蔵堂の創建された応永14年(1407)の頃と考えられる。
 宝暦4年11月の野口村柄様子銘細書上帳に「村内鎮守牛頭天王 別当正福寺 五反七畝弐十弐歩御除地」とあり、また明治三年十一月の神社書上帳には「社号 往古より天王宮と唱え来候処 明治二年奉願上八坂大神と改替仕候」とあって、同年八坂神社と改め村社に列せられる。武蔵名勝図絵多摩郡之部巻二武蔵野新田山口領村山郷には「天王神社山口領野口村 往古より奥州街道の辺りに鎮座 勧請の年月不知 社地松樹翁鬱生茂す 村内正福寺持なり。祭神素盞嗚命尊 之の神像なり神体手に斧を提持し立給銅像 是巨旦が賊を討滅し給う威霊の像なり。長7寸許 此れ霊像にて見る事を許さず 村内の鎮守なり。社地風五町歩 祭礼六月十五日」とある。
 社殿は残っている棟札から、天保三壬辰年に拝殿が改築され屋根は茅葺であった。明治四十二年屋根は亜鉛鉄板葺に替えられている。この頃の例大祭は七月十五日で前日から神輿 大太鼓 屋台囃子等賑わいは遠く近郷の人々も詣で大きな楽しみとなっていた。唱和三十九年に拝殿幣殿とも改築されたが、平成元年(1989)現社殿が新築落成した。



八坂神社は古より此の地に祭られ崇められてきた。東京都においては発展の目覚ましい近郊の街づくりに都市計画道路の整備が急がれ、当社の表に面する東村山都市計画道路一・三・一号線(旧鎌倉街道・通称府中街道)の拡幅整備事業が行われることになり、昭和六十二年の始め、東京都より道路用地として当神社所有地九五三平方米を買受けたい旨の申し出があった。同年三月十五日責任役員会議に諮り、これを受け入れることが決定し、同年四月十三日、東京都との間に売買契約が結ばれた。
 しかし、その道路拡幅計画を見ると参道が十米余り短くなり狭隘となるため、神社の運営上、御祭礼の又木、その他施設に種々影響があり、同年四月二十九日に役員総代会議を開き論議検討が行われた。
 社殿の裏の有効利用と境内建造物、諸施設の配置等を勘案し、従来の社殿を移転するか、改めて後方に社殿を新しく造営するかの何れかに決断せざるを得ない段階となり、新社殿を構築すること、その工費は都へ売却した道路用地代金から支弁することが決定した。
 なお、社殿建設委員会が設置され全総代がこれに当たり委員長には責任役員鈴木宗作氏が就任した。更に新社殿の建築設計にには神社仏閣建築に卓越した技術と熱意をもって信頼されている株式会社古典建築設計事務所長竹澤要氏に依頼することも決定した。社殿建設委員会はその後、都内及び埼玉県内における最近建築された神社の見学を行い、それらを参考として祭典執行その他理想的な社殿を造営するよう設計と検討が加えられ、同年六月十五日、設計管理株式会社竹澤古典建築設計事務所との間に設計管理業務委託契約書が交わされた。
 かくして同年十月十四日社務所において工事請負希望業者に対する説明を行い同月二十六日に入札が行われ、開札の結果、工事費二億二千五百万円也、工期昭和六十四年四月末日にて、株式会社金剛組代表取締役金剛利隆氏が落札し同年十一月十二日工事請負契約書が取り交わされた。この工事の内容は次のとおりである。
 新築する社殿(御本殿、祝詞殿、拝殿他付帯建物)二一一、七四平方米(六十四坪)
 移転する旧社殿(現在の奉額堂)七八、一二平方米(二十三坪)
 地鎮祭は昭和六十二年十二月十四日午前十一時より古式豊かな手釿始(ちょうなはじめ)の儀など厳粛荘厳に執り行われて工事は着工となった。
 昭和六十三年一月には鎮守八坂神社御社殿新築造営の趣意書を氏子崇敬会員に配布し建築のお知らせをした。工事の旧社殿おける最後の例大祭も同年七月十七日盛大に執行された。工事も進み新社殿の一日も早い完成を待ち望んでいたところ、同年九月十五日またず突如建設委員長鈴木宗作氏が急逝された。新社殿の完成を見ずに不帰の人となられ誠に残念であった。その頃、御社殿新築の一端にと崇敬者からの声もあり「銅板壱枚奉納推進運動」が展開され、氏子崇敬者を始め崇敬の念篤い多くの方々から多額の浄財を御奉納いただいた。よってそのお心の光を留めるべく御芳名を奉額堂に掲げた。
 昭和六十四年一月七日、昭和天皇崩御遊ばされ、元号が平成と改められた。平成元年(一九八七年)三月十七日上棟式が古式により盛大に執行され、五月三十日夜御遷宮式が雨の中静かに行われた。いよいよ六月十日新御社殿が完成して、その落成奉祝祭が神社本庁より献幣使の御参向のもとに各会の来賓をお迎えし、崇敬会の役員、総代、氏子の方々多数の参加をいただいて賑々しく式典、続いて祝賀式が盛大に行われた。かくして待ちに待って八坂神社新社殿造営を完了したことをここに記す。





祇園社



 この一対の大獅子頭は、文久三年(1863)に櫻井富右エ門、鈴木勘左エ門、松田定右エ門、五十嵐喜兵衛によって奉納されました。
八坂神社の祭神牛頭天王(通称「天王さま」素盞嗚命と同体とされる)は疫病除けの神として信仰されていますが、以前は疫病が流行るとこの大獅子頭をかぶって村内を巡ったそうです。
祭礼の際などに魔除け厄除けを目的として大獅子頭を練り歩く風習は他の地域でも知られています。
八坂神社では今では大獅子頭を練り歩くこともなく、7月の祭礼の時だけ、本殿の回廊に奉安されることとなっています。





境内社(蚕影神社/御嶽神社/三峰神社/三島神社





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