小金井公園は広い公園なので周辺の史跡などを見ながら出たり入ったりしてしまった。
◆小金井公園1
◆サクラの開花は3月15日でした
小金井公園では、 公園サービスセンターの前にあるソメイヨシノ (染井吉野) を「標本木」としています。 3月15日に公園サービスセンターと小金井公園桜守の会で、 5輪以上咲いていることを確認し、「開花宣言」をいたしました。 昨年より6日早い開花です。
今後の気温次第ですが、 ソメイヨシノが満開になるのは開花から1週間後。 いよいよ春本番です。
◆日本三大桜をまとめて見よう!
さて、日本三大桜と言えば、 山梨県の「山高神代桜」 岐阜県の「根尾谷薄墨桜」、 福島県の「三春滝桜」。 いずれも樹齢1000年以上で、国の天然記念物に指定されている見事な桜です。
実は、 その 「日本三大桜」 を一目で見られる少しおトクなスポットが、ここ小金井公園にあります。もちろん、 本物 (原木) はそれぞれの土地に行かなければ見られませんが、 「いこいの広場」には
日本三大桜の遺伝子を受け継ぐ桜が3本並んで植えられています。
お花見の際には是非探してみてください。
◆久しぶりの 「お花見」
昨年の春は、感染防止対策のために都立公園内での宴会自粛をお願いしてまいりましたが、今年はいつものお花見の光景が戻ってきそうです。 3月25・26日には4年ぶりの開催となる 「第69回小金井桜まつり」がたてもの園前広場にて賑やかに行われます。
お花見の際は、誰もが心地よく過ごせるよう、またきれいな景色を守るため、ご協力をお願いします。
掲示板
◆小金井公園2・3
大正十三年十二月に国の名勝として指定された小金井の桜井一一九番から穂木を採取して、平成二五年に接ぎ木をした早咲きのヤマザクラです。武蔵野新田開発の役者川崎平右衛門徒二五〇年記念とし
て平右衛門桜と命名。井一一九番のヤマザクラは、喜平橋~小桜橋間(上水北洋)にある樹高一三n幹周三mの大木で三月上旬に開花する早咲きです。玉川上水場にもその兄弟が植樹され古木を継承しました。
鴨下桜 ヤマザクラ
川上水堤の桜並木は、吉宗の幕命により川崎平右衛門が吉野や桜川等各地の山桜の名品種を取り寄せたのが始まりです。その苗圃が旧地名の桜(現中町三丁目)にあり、嘉永年間に補植した山桜の古木が
0家、鴨下製糸工場跡、笠森稲荷に現存し、その古木から穂木を採取し、接ぎ木で育成しました。 呼称を「鴨下桜」とし、名膳小井(サクラ)の伝統を継承して植栽して貴重なヤマザクラを復活させました。
◆小金井公園4
四月中旬頃、花弁が五枚と、六〜七枝の花弁とが同じ木に咲くので八重一重とも呼ばれる。別名「鎌倉の桐ヶ谷」とも言われ、鎌倉時代すでに栽培されていたという。オオシマザクラ系の里桜として、荒川堤で栽培されており、古くから知られていた。いわれは、牛車で花を見た二人が、一重か八重かを争って車を引き返し確かめた。また、徒水尾天皇が余の美しさに、神車を引返しご覧になった説もある。
駿河台匂(スルガダイニオイ)
ふつう桜の花は香りがないが、花に芳香がある匂桜の中でも、特に香りが強い。 荒川場で栽培されていたオオシマザクラ系の品種。落景高木で、枝はやや斜上する。かつて江戸駿河台の庭園に原本があったので、この名がついたと言われている。四月中旬頃に咲き、花は純白で、五~八枚の正常な花弁に加えて、雄しべが不完全に花弁代しで、旗のように見える敷枚の旗弁が見られ、先端に切れ込みが多い。
江戸期から名前の記録があり、明治期に荒川堤から広まったサトザクラ。
花は白色で直径五~六㎝の大輪八重の花を持つサクラは少ないので、この純白色を強調して、栽培品種名にしたものと推察される。
花弁は一〇~一五枝の円形で、外側の花弁の先や外面が淡紅紫色をおびる。四月中旬頃に開花しますが、暑芽は黄緑色で同花からやや遅れて伸びてくる。
一九〇八年もと荒川堤で三好学博士により見出され命名されたサトザクラの栽培品種。
若芽は褐色で開花時にはまだ伸びてこないので、純白の丸くてしわのない白い大きな花弁が目立ち、白い雪に見立てられた。
太い枝は横に曲がって行きますが、小枝は上向きに伸び、四月上旬頃開花します。
「翁」や「狩」と呼ばれているのは、同じ栽培品種と思われます。
江戸後期から関東を中心に広まり、明治期の荒川で栽培されていたサトザクラの栽培品種。
普通一本の雌しべが素化し、素化部分には鋸歯があり、長く突き出していることからこの名がつけられている。
花径約5cmの花弁は二〇~二五枚の淡紅色だが中心部は白色に近く平開する。
若芽は黄緑色で、花と同時に伸びます。 八重咲きで、四月中旬頃開花します。
染井吉野(ショメイヨシノ)
江戸末期に 井村(豊島区駒込)の植木屋伊藤伊兵衛らが「吉野桜」名で売り出した栽培品種。名前が調査地の上野の山にある「真吉野」や「梅崎吉野」と紛らわしいので、明治三三年に藤崎奇命により和名が。
三四年に松村任博士により学名が記載。オオシマザクラとエドヒガンの交雑種の接本クローンで、寿命六〇年類もあるが手入次第で長生。昭和二九年の開園記念植樹祭で約一五〇本を協力会が植え名所に。
山桜(ヤマザクラ)
日本列島の南半分に広く分布し、寿命が長く大本になる自生種。江戸時代以前はサクラといえばヤマザクラであった。
花の色や形と同時に暑芽の色に変異が多く、いろんな組み合わせが見られる。
約二八〇年前に大和吉野、常陸桜川のヤマザクラを移植した川上水の「名膳小金井桜」の伝統を受け継ぎ、同国の昭和二九年前から植栽され、貴重なヤマザクラの植地・桜並木として親しまれている。
◆小金井公園5
軽井沢ビールで一休み♪
目的と内容
年々衰退するこの雑木林を後世まで残すため、状況調査の結果、病虫害や昆虫採集によって弱ったもの、枯れている樹木の間引きと、それに替わる若木の補植を行なって雑木林全体の更新をはかります。 そのほか、 雑木林に侵入して来た外来種を移植して、本来の 「武蔵野」の雑木林の姿にします。
期間
昭和59年12月より1期それぞれ3年間の休養期間をとり、継続して行なっております。
注意事項
人の立ち入りを禁止しますので、 昆虫の採取等はいっさいできません。 又、枝を折ったり、根元を掘ったりすることも禁止します。
この公園には、はげしい雨が降った時、たくさんの雨水がいっぺんに「石神井川」 へ流れこまないように左の図のようなしくみがつくってあります。
雨が降りはじめると雨水は、地下につくった施設の中に入ります。 この施設には、 水を土の中に浸みこませるはたらきがあります。したがって少しの雨であれば、雨水はみんな土の中に浸みこんでしまいます。 しかし、たくさんの雨が降ってきた時は、水の浸みこみが間に合わなくなり、 雨水は皿のような形をした広場に貯まって、 こども広場が池のようになります。
雨がやむと水はゆっくりと時間をかけて少しずつ 「石神井川」に流れていきます。 そして貯まった水はいつのまにかなくなってもとのとおりになり、池は消えてしまいます。
つまり 「見えない貯水池」 というわけです。
昭和六三年(1988)に林学博士が国内で発見、命名された原本が平成二八年六月に枯死しました。原木から平成一五年に接ぎ木で育成した二世の樹です。
花は四月中旬頃咲き、散房花序で三~五個つき、聞き始めは色が濃く紅色、偶同時には淡紅色となり、花弁のへりが色濃く、内側は白っぽい。カスミザクラ、チョウジザクラ、シナミザクラが自然交離したもののようで、真の解明は難しい。
大正十三年十二月に国の名勝として指定された小金井の桜の一つに、三好学博士の「小金井桜花図説」で選び命名された富士見桜は、かって、平右衛門橋付近の南洋にあり、上水の北岸に届くほどの見事な枝振りで、随一の名木でありました。
公園からは唯一このヤマザクラの地点から約八五km先に見ることができます。
歌川広重の錦絵「富士三十六景武蔵小金井」の現代版をお楽しみください。
昭和六三年(1988)に林弥学博士が園内で発見、命名された原木が平成二八年六月に枯死しました。 原木から平成一五年に接ぎ木で育成した二世の樹です。
花は四月中旬頃咲き、散房花序で三~五個つき、聞き始めは色が濃く紅色、偶同時には淡紅色となり、花弁のへりが色濃く、内側は白っぽい。カスミザクラ、チョウジザクラ、シナミザクラが自然交したもののようで、真の解明は難しい。
昭和六三年(1988)に林弥学博士が発見し、小金井に因んで命名され、「名本日本のさくら五五本」に選定された原本。花は四月中旬頃咲き、散房花序で三~五個つき、開き始めは色が濃く紅色、偶同時に
は淡紅色となり、花弁のへりが色濃く、内側は白っぽい。カスミザクラ、チョウジザクラ、シナミザクラが自然交したもののようで、真の銃解明は難しい。樹鈴七〜八十年と推測され、接木で樹育成中。
エドヒガンのしだれ型のなかで元色が濃い紅色のものを「紅枝垂」と呼びます。普通のエドヒガンの枝は上に伸びますが、「枝垂桜」の枝は下に垂れます。
花色が薄いものに比べて花期がやや遅く大木になるものが多く、名本とされている樹も多い。
花は紅紫色で先端が色の濃いものが多く直径2㎝、花弁は5個。個体によっては麦雲が多くみられます。
大島桜(オオシマザクラ)
関東南部の暖かい沿岸部に生育し、伊豆大島に多いので、この名で呼ばれている。花は白色のものが多く花弁も大きく、芳香がある。桜餅を包む景に使われ、花にもクマリンの香り物質が含まれる。
関東でも屈指の大木で、高さ十三m、幹周り三六六肌、傘状の枝張りは二〇mある。
四月上旬のと同時に伸びる若芽は録色で、一面に芳香が漂い圧巻である。
平成二四年に西東京市の名木五十に選ばれる。
◆小金井公園6
小金井公園の桜
小金井桜と小金井公園
「小金井桜」は、 玉川上水の小金井橋を中心に、 両岸に植えられていたヤマザクラ並木のことを指します。
徳川吉宗の時、 上水の決壊防止、水毒解毒、 観光名所作りを目的として、 奈良吉野山、茨城桜川などからヤマザクラの苗木を取り寄せ、 川崎平右衛門定孝が元文2 (1737) 年に約2里 (8km) の間に千本の桜を植えました。 寛政6 (1794) 年に古河古松軒に紀行文「四神地名録』 で紹介されると次々に評判を呼び、 名所図会に紹介されたり、 歌川広重の『江戸近郊八景」 に描かれるなど、 庶民の江戸の桜の名所として人気は絶頂に達しました。
維新後の明治16 (1883)年には明治天皇が、 翌年には皇太后 皇后が行幸啓されました。 大正13 (1924)年には史蹟名勝天然記念物法の「名勝」 として指定されました。
しかし、 人気の高まりに反してサクラは衰え、 戦後には道路の拡張もあり、往時の名勝の面影も見られなくなってしまいました。
小金井公園は、昭和15年に計画された、 広さ79haの小金井大緑地 (防空緑地)が前身です。 ここを小金井桜に代わるサクラの名所として整備することになり、 昭和29年、 広大な敷地に、 ヤマザクラをはじめ武蔵野の地に合うさまざまなサクラが植えられました。 春には、毎年大勢の人々で賑わいます。
江戸の人々も楽しんだ桜
江戸時代、 庶民も花見を楽しむようになりました。 染井吉野が姿を現したのは江戸の末期。 それまでの間、 江戸の人々が見ていたのはヤマザクラや八重咲きのサトザクラの品種などでした。 江戸のサクラの名所を引き継いだ小金井公園にはこうしたサクラの品種が数多く植えられています。 それらの中から、 園内で見られる代表的な品種をいくつかご紹介します。 小金井公園で江戸の花見を楽しんでみてはいかがでしょうか。
◆サトザクラの仲間
普賢象 (ふげんぞう)
室町時代から知られている品種です。雄しべの先端が曲がっていて、その姿が普賢菩薩の乗っているゾウの鼻や牙に似ていることから名前がついたと言われています。
楊貴妃(ようきひ)
荒川堤に残されていた品種の一つ。昔、奈良に花色がすぐれた豊満な花をつける八重桜の名木があり、中国の楊貴妃を連想して名づけられました。
有明(ありあけ)
荒川堤に残されていた品種です。花が大きく、枝にたくさんついて咲くので華やかです。通常は強い香りがあります。松平定信の図請「花の鑑」などの古書に名前が観られます。
鬱金(うこん)
花の色がショウガ科の 「ウコン」からとる色素 「鬱金色」に似ているところから名づけられ、 「黄金の桜」 と呼ばれ珍重されています。 荒川堤に残されていた品種の一つです。
一葉(いちよう)
荒川堤に残されていた品種の一つ。雄しべの下半分が緑色で葉のようになっているのが名の由来です。 松平定信の図譜 「花の鑑」 などにもこの名が見られます。
御車返 (みくるまがえし)
平安時代末期のころから栽培。 名はこのサクラのそばを通り過ぎた人たちが一重は八重かで言い争い、車を返して確かめたという故事から。 一重と八重の花が混じって咲きます。
駒繋(こまつなぎ)
かつて京都の青蓮院門前にあり、親鸞上人が馬を繋いだという故事から名前がつきました。 園芸品種は太白(たいはく) ですが、 小金井公園では駒繋と呼ばれています。
染井吉野 (そめいよしの)
現代のサクラの代名詞ですが、 江戸時代末期に作出され、 当時は吉野桜として売りに出されていましたが、明治に入りこの名前に命名されました。
エドヒガンとオオシマザクラの交雑種。
小金井簿紅桜 (こがねいうすべにざくら)
1988年に林弥栄が発見命名しました。 花の咲き始めは紅色、 満開時には淡紅色に変わります。 2~3種類のサクラが自然交雑したもので、 小金井公園ゆかりのサクラです。
◆野生種
ヤマザクラ(山桜)
花と葉が同時に開きます。 本居宣長が 「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」 と詠んだことでも知られています。 西日本では、かつてサクラといえば本種を指しました。
オオシマザクラ (大島桜)
伊豆諸島と伊豆半島南部に自生します。 花はふつう白色で、 芳香があり、葉は桜餅に利用することでも知られています。 観賞用として、 庭園や公園にもよく植えられています。
カスミザクラ ( 霞桜)
北海道、本州、四国、朝鮮半島に自生します。 中国以北に多く分布し、北日本では普通ヤマザクラというと、本種を指していました。 関東ではヤマザクラより遅く開花します。桜保護の為、 根元まわりへの立ち入りは、ご遠慮下さい。
桜の園
この「桜の園」は昭和29年頃から主にサトザクラを用いながらその整備をはかっており、現在、 約 5.8ha に 約380 本のサクラが植栽されています。 3月中旬頃の 「カンヒザクラ」に始まり、 4月下旬の八重桜に至るまで約1ヶ月半、 この 「桜の園」 は華麗な花絵巻を繰り広げます。 この 「桜の園」には20数種類のサクラが植栽されていますがその主なものは、
1.自生種(山野に生えているバラ科、サクラ属、サクラ亜属のもの)「
カンヒザクラ」、 「ヤマザクラ」、「カスミザクラ」、「オオシマザクラ」、 「マメザクラ」があります。 このうち、「カンヒザクラ」 は台湾、中国に自生し、 沖縄に野生化しており、他のサクラに先がけ、3月中旬頃から釣鐘状の緋色の花を下向きに半開して咲き、5弁がついたまゝ散るという珍しいサクラです。 又、この花には蜜が多いのでメジロがよくやってきます。
1. サトザクラ (自生種の枝変りや自然交配或いは人工交配により選抜、 作出した園芸種。サクラ亜属)
「ソメイヨシノ」・「関山(カンザン)」・「普賢像(フゲンゾウ)」・ 「一葉(イチョウ)」・ 「白雪(シラユキ)」・「太日(タイハク)」・「薄墨(ウスズミ)」・「入提灯(オオチョウチン)」「八重紅枝垂(ヤヘベニシダレ)」・「駿河台勾(スルガダイニオイ)」・「冬桜(フユザクラ)」・等々が植えられています。 このうち「ソメイヨシノ」は今日サクラといえばこれを指すほど有名であり、 東京都の花にも指定されています。 その他のものは八重、 或いは一重の華麗な花を4月中下旬頃に咲かせます。 なかには 「駿河台勾」 のような芳香あるサクラもあり、又晩秋から初冬にかけ一度咲き、 翌年4月上旬に残りの花を開く 「冬桜」 のようなものもあります。
1. イヌザクラ(ウワミズザクラ亜属)
クヌギ林の中にあり、 白っぽい樹皮をもづ木で丸ブラシのような花を4月頃咲かせるのが「イヌザクラ」 です。
このようなサクラの樹を大切にしましょう。
江戸東京たてもの園
今回は入らなかった。
鴨下桜(カモシタサクラ) ヤマザクラ
玉川上水堤の桜並木は、吉宗の幕命により川崎平右衛門が吉野や桜川等各地の山桜の名品種を取り寄せたのが始まりです。
その苗 苗圃が旧地名の桜星(現中町三丁目)にあり、嘉永年間に補植した山桜の古木が〇家、鴨下製糸工場跡、笠森稲荷に現存し、古木から穂木を採取し、接ぎ木で育成しました。 呼称を「鴨下桜」とし、名膳小金井 (サクラ)の伝統を継承して植栽して貴重なヤマザクラを復活させました。
寒緋桜(カンヒザクラ)
中国南部や台分布し、沖縄石垣島に自生化している。 早春の一月頃から濃紅色で鐘形の花弁が下向きに平用せず咲く。花色が濃いことから和名がついた。緋寒桜、元□桜、薩摩緋桜、琉球緋桜とも呼ばれる。
花は直径約二 ㎝で蜜があり、一花ごとツバ牛のように落下する。時折、メジロ、ヒヨドリ、ウグイス、野生化したインコ等が飛来して蜜を吸っている。寒さに弱く、関東では二~三月の春告げ花として人気。
山桜(ヤマザクラ)
日本列島の南半分に広く分布し、寿命が長く大本になる自生種。江戸時代以前はサクラといえばヤマザクラであった。
花の色や形と同時に暑芽の色に変異が多く、いろんな組み合わせが見られる。
約二八〇年前に大和吉野、常陸桜川のヤマザクラを移植した川上水堤の「名小金井桜」の伝統を受け継ぎ、国の昭和二九年前から植栽され、貴重なヤマザクラの集植地・桜並木として親しまれている。