2023/09/07 下宅部遺跡はっけんのもり





 下宅部遺跡は、縄文時代~中世にいたる水辺の遺跡です。通常の遺跡では残りづらい木の道具や、当時の木材や種、動物の骨なども多量に出土し、自然環境も復元できる全国的にも貴重な遺跡のため、一部を埋没保存しました。この保存区域は市民参加によって「はっけんのもり」として整備され、その管理・運営は下宅部遺跡はっけんのもりを育てる会を中心に行なわれています。
 この市民の取り組みと遺跡の保存と活用の理念が評価され、二〇〇六年度に、都市公園法施行五〇周年記念事業実行委員会より「日本の歴史公園一〇〇選」に選定され、また東京都教育委員会より「東京文化財ウィーク都知事賞」を受賞しました。





 下宅部遺跡は、狭山丘陵を水源とする北川の左岸、沖積低地に位置する低湿地遺跡です。 平成八年からの発掘調査で、縄文時代中期から晩期、古墳時代、奈良・平安時代、中世などの河道跡や水場に関連する遺構が出土しました。特に縄文時代は遺構・遺物ともに豊富で、当時の生活や環境を知ることができる貴重な遺跡です。
 縄文時代の生業に関する遺構としては、水流を遮るように木杭や丸太で堰状にした水場遺構や護岸用と思われる杭列弓とシカやの頭蓋骨を使った狩猟儀礼に関連すると思われる場などが確認されています。 遺物に目を向けると、土器や木製品などが多数出土していますが、中でも漆工関連遺物は漆塗弓などの製品のほか、漆の採集から使用に至る工程を示す部材や土器が出土しており、これらは全国的に見ても希少であり学術上大変重要です。なお、都では、平成二一年及び二七年に、ここで出土した漆工関連遺物の一部を有形文化財(考古資料)として指定しています。
 旧河道の合流地点付近は、確認調査によってこれらの遺構や遺物が最も良好に遺存していることが確認されたため、埋戻し保存されました。その後、下宅部遺跡公園「下宅部遺跡はっけんのもり」として整備されています。





●水の恵み 下宅部遺跡
 トトロの森 「狭山丘陵」のふもとから北川の河川敷にかけて所在する下宅部遺跡は、縄文時代 古墳時代、 奈良・平安時代、中世など複数の時代にかけての低湿地遺跡です。
 特に、発見された昔の川からは、土器や石器の他に、木製の器や編み物、 漆で飾られた弓、シカやイノシシの骨、トチノキクルミなどの植物など、 通常の遺跡では残りづらい、有機質の遺物が多く出土しました。
 これらの遺物が守られたのは、今でも豊富な湧き水のおかげです。 当時を知る手がかりとなる多くの“証拠” が発見され、 昔の生活や自然環境などを具体的に復元することのできる貴重な遺跡です。


●成長する遺跡広場 「下宅部遺跡はっけんのもり」
 下宅部遺跡の重要性から、都営住宅建設計画を変更し、遺跡のうち最重要地点と考えられる約3000m²が、当時の姿のまま地下に「埋没保存」されることになりました。
遺跡の保存にあたっては、発掘を担当した遺跡調査団をはじめ、市民有志による 「下宅部遺跡はっけんのもりを育てる会」が中心となって、 「成長する広場」 をキーワードに、 発掘成果を活かした 「遺跡広場」として整備し、遺跡の保存と活用を考えてきました。
 この「下宅部遺跡はっけんのもり」は面積としては小さな広場ですが、市内で初めての 「遺跡」の広場として、みんなで育てて活用していける広場なのです。







基地が近いので軍用機が頻繁に飛んでいる。



遺跡については東村山市のHPに詳細が載っていた。
下宅部遺跡



場所はコチラ。