2022/12/24 保谷・吉祥寺散歩 03 弁天橋/練馬区立武蔵関公園/富士見池遺跡群・溜淵遺跡/関町北三丁目第二アパート/庚申橋・庚申塔/こうしん橋公園

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/12/24/170000




◆弁天橋

下は石神井川









練馬区武蔵関公園

以前訪れたことがあるので、詳細はそちらで。
2020/10/24 善福寺散歩 03 武蔵関公園 - ovanの社会科見学


今回撮った写真はコチラ↓






◆富士見池遺跡群・溜淵遺跡



 武蔵関公園の富士見池は、三宝寺池と並んで、かつては石神井川の水量の多くを供給していた湧水池でした。 この付近は戦前まで、武蔵野の面影を色濃く残していた丘陵地帯で、この池の周辺には原始・古代の遺跡が数多く点在しています。
 溜淵遺跡は、富士見池南側の標高5メートルの台地上にあり、西東京市の下野谷遺跡と連続する約15万平方メートルがその範囲と推定されています。旧小字名で「溜淵」と呼ばれていたので溜淵遺跡と名付けられました。
こあざめい
 昭和三十年、昭和五十五年~五十六年にかけて二回の発掘調査が行われ、本遺跡が旧石器時代(約一万年以上前)から縄文時代後期にかけての重要な遺跡であることがわかりました。昭和五十五年、五十六年の調査は、都営関町北三丁目第2アパート建て替えに先立ち、約一万三千平方メートルの部分が対象となりました。この結果、旧石器時代の礫群、縄文時代の竪穴住居址3軒、土坑48基、屋外炉穴1基などの他に、中・近世の溝が発見され、ナイフ形石器や槍先形石器、縄文時代早期(約八千年前)から後期にかけての土器などが発掘されました。旧石器時代は土器が用いられる以前の時代で、関東ローム層(赤土)の中で発見された礫群は、拳大ほどの河原石を集め、熱して蒸し焼きをした調理場などと考えられています。礫群の周辺からは、掻器(スクレイパー・木の皮などをはぐ道具)や槍先形石器などに混じって原石(黒曜石など)の砕片(ブレイク、チップ)が出土しており、石器製作址と推定されています。縄文時代の屋外炉穴は、関東ローム層上面で発見されたもので、径約0.5~2メートルほどの穴を地中に浅く掘り、その中で火を焚いた施設です。住居址の外で調理や暖をとった場所と理解されています。
 溜淵遺跡から出土した遺物は教育委員会で保管しています。






◆関町北三丁目第二アパート








◆庚申橋・庚申塔



更新橋の庚申塔
 安永四年(1775)十一月建立の庚申塔で、言い伝えによると、もとは三郡橋(現在よりも東の武蔵野市練馬区西東京市との境にあった)の傍らにあったという。
 正面には「天下泰平」の文字の下に忿怒相の青面金剛像が彫られている。この庚申塔の右側面には、願主として西窪村の下田伊右衛門ほか三名の苗字と名前が、その左上部には「右府中道」と彫られている。左側面には、右上部に「左深大寺道」、中央に「安永四乙未十一月吉日」、その下に吉祥寺村片居木清□ほか四名および石工の関長右衛門の苗字と名前が彫られている。以上の記銘から、この庚申塔は、吉祥寺村と西窪村の村民が共同で建立したことや、道標を兼ねていたことなどがわかる。


庚申橋









◆こうしん橋公園






続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/12/24/180000