2023/09/07 八国山緑地


『狭山丘陵の東端に位置し、北側を埼玉県所沢市に接する東西に細長い緑地。東西約1.5 km、南北約300 mほどにわたって広がる。南側には西武鉄道西武園線が通っている。園内には標高89.4 m[1]の八国山がある(頂上地点というものは存在しない)。この八国山は、かつて上野・下野・常陸安房・相模・駿河信濃・甲斐の8つの国を望むことができたことに由来する(現在は樹林に囲まれて展望はない)。八国山は新田義貞が「久米川の戦い」の際に陣を張ったとされる場所であり、これに因んで尾根の東部にある塚には「将軍塚」と書かれた石碑が建てられているが、元となった塚は富士塚、あるいは古代の古墳といわれている。都県境を挟み東京都側は緑地であるが、埼玉県側は住宅地となっている。
かつて付近は、律令時代の官道である東山道武蔵路が通っていたとされ、将軍塚の付近の谷戸地形から溝または切通し跡と考えられる遺構と8世紀頃のものと思われる須恵器なども発見されている。
園内は武蔵野の面影を残しており、クヌギやコナラなどの雑木林や、原っぱとなっている。雑木林の中を散策したり、生息する野鳥や昆虫を観察したりすることができる。 』
八国山緑地 - Wikipedia




ふたつ池の由来
 江戸時代に描かれた野口村絵図によれば、 このあたりには「かじ谷」 という地名がつけられていました。 この絵図には、 現在の八国山緑地とほとんど同じ形をした山林が描かれており、 その南側を流れる北川沿いには水田が広がっていたことがわかります。 また、 現在の 「ふたつ池」 のあたりにはすでに二つの池があり、 四角い形をしていることから、人工的に掘られた溜め池であったことが読み取れます。 谷戸に集まる湧水を二つの池に溜め、この水を水田用水として利用していたのでしょう。
 明治13年に書かれた資料では、 鍛冶谷という地名が使われ、 二つの池には鍛冶谷池と鍛冶谷(かじやつ)小池という名前がつけられていました。 鍛冶谷 (または鍛冶谷ツ) という地名は、 昭和39年に東村山市が誕生するまで使われていましたが、 いつの頃からか、 鍛冶谷池という名前はなくなり、「ふたつ池」と呼ばれるようになりました。
 「ふたつ池」には、溜め池として利用されてきた長い歴史があり、 周辺の水田に水を供給し続けてきました。 池のすぐ下には、昭和40年代前半まで一反五畝(いったんごせ)の水田があり、「ふたつ池」の水が水源として使われていました。 この頃、 池の水位は現在より1mくらい高かったようです。
 水量が減った現在も、 地下水路を通じ、北山公園の水田の一部に水を供給し続けています。 また、 都立八国山緑地内の池として、公園を訪れる方に親しまれています。

八国山緑地の野鳥
 八国山緑地では、 たくさんの野鳥を観察することができます。 林ではシジュウカラエナガコゲラなどが見られやぶの中ではウグイスが巣をつくります。 また、 冬になると、開けた場所でモズが縄張りを張り、林や芝地では大陸から渡ってきたジョウビタキシロハラツグミなども見られるようになります。 都市の中の公園は、私たちにとっての憩いの場だけでなく、野鳥たちの大切な住みかにもなっています。
 野鳥観察には、地面や木の枝、 幹などを注意深く見る方法や、 耳を澄ませて鳴き声を聞く方法があります。 鳥は種類によって好きな環境が異なるのでどの環境にどのような鳥が見られるかを調べておくことも大切です。 また、 季節によっても見られる種類が変わります。 野鳥が好む環境や季節を考え、その生活を想像しながら歩くことで、 たくさんの野鳥に出会えるかもしれません。

ふたつ池には、水浴びや水飲みに来る鳥や、 水辺でエサを採るコサギなどが集まってきます。 野鳥を驚かさないように、そっと観察するようにしましょう。





◆二つ池






◆ひだまり広場






◆射撃場跡






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八国山緑地 | 狭山丘陵の都立公園





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