2023/09/28 牧野富太郎記念庭園


練馬区立牧野記念庭園(ねりまくりつまきのきねんていえん)は東京都練馬区東大泉にある都市公園(植物園)。
1958年(昭和33年)に植物学者牧野富太郎練馬区東大泉の自宅跡に、氏の業績を顕彰する庭園及び記念館として開園した。2009年に「牧野記念庭園(牧野富太郎宅跡)」として、国の登録記念物(遺跡及び名勝地)に登録された。2020年に東京都の名勝及び史跡に指定され、2023年には国の登録記念物は登録が抹消されている。
園内には300種近い植物があり、牧野博士が命名したセンダイヤザクラや仙台で発見し亡き妻の名をつけたスエコザサ等が植えられている。
牧野博士の次女・鶴代の孫である一浡(かずおき)が2010年より学芸員として運営に携わっている。 』
『同地域に住む漫画家の松本零士は、「大泉学園に引っ越してきたとき、偶然にも私のデビュー作「蜜蜂の冒険」で参考にした牧野博士が住んでいたと聞いて、非常に強い縁(えにし)を感じた」と語っている。』
牧野記念庭園 - Wikipedia



 牧野記念庭園は植物分類学の父といわれる植物学者牧野富太郎 (1863~1957)が大正一五年(1026) から昭和三二年(1857)に逝去するまでのおよそ三〇年間居住し、研究の場としたところです。
 大正一二年(1923九二三)の関東大震災を受け、 牧野の集した標本や収集資料が失われることを危惧した妻衛が当時の大泉村(現在の牧野記念庭園の地)に土地を買い求め、大正一五年(1926)に牧野はここに移り住みました。
 昭和一五年(1940)、牧野の代表的な著作のひとつ牧野日本植物図鑑』が発行されていますが、この場所にあった書斎で書かれたとみられます。 また、牧野が収集した植物標本の中には自宅庭で採集されたものもあります。
 現在、庭園には桜の一種のセンダイヤ、ヘラノキ、亡き妻壽衛を偲んで命名したスエコザサをはじめとした牧野自身が植え、命名したなど所縁の植物が多く残ります。
 庭園内の記念館には牧野の著作や愛用品 標本等を展示し、鞘堂には実際に牧野が研究活動を行っていた書斎と書室の一部が保存されています。 当時の庭の姿をよく残す庭と合わせ牧野の業績を記念する場所となっています。




 昭和三十二年一月十八日、牧野博士は逝去されました。
 東京都は、博士の住居跡を「牧野記念庭園」として保存するという意志を、博士の没後わずか三ヶ月足らずという短期間で表明しています。
 これは遺族代表である博士の次女・牧野鶴代氏から、東京都知事宛に植物標本と樹木の寄付申し込みがされたことから始まっています。博士の没後にこのような短期間での意志決定がなされたことは、名誉都民であった博士の人徳の証といえるでしょう。
 その後、昭和三十三年四月ころに東京都による庭園整備が終わり、その管理を含め練馬区からの強い移管の要請により、同年十月一日に練馬区への移管が正式に行われ、同年十二月一日に開園しています。
 現在、来園者は、区民はもとより全国各地から訪れており、平成九年には文化財として練馬区登録名勝に登録されています。
 また、平成二十年の開園五十周年を契機とし、平成二十一年には国の登録記念物 (遺跡および名勝地)に登録、さらに老朽化した施設の更新と展示品保存環境の向上を目的とした大規模な改修事業を行い、平成二十二年、新たに開園 園し、今日に至るものです。




 牧野富太郎先生は、大正十五年都塵を避けて、この地 大泉に居を構えられ、我が国の植物学界に陸続として高説を発表されました。
 この間、当時なお武蔵野の抒情を有していた大泉野外、四季とりどりの花卉の移り変りをも楽しまれ又、園内には奇草珍木を植栽して、その生育に多大の愛着を示された。
 昭和三十二年、先生はこの邸内で九十四才の天寿を全うせられたが、この学問の聖地をいつまでも守り、永く後世に伝え残すため、ここに旧邸を牧野記念庭園とし、文化遺跡として広く公開すること
となった。
 なお、牧野先生蒐集の脂葉は別に東京都立大学牧野標本館に整理保管され、学究の用に供せられている。






◆記念館

記念館の中は縁のモノやパネル展示がたくさんあった。






◆繇條書屋(ようじょうしょおく)

『繇條書屋』
本を友とし、 いつも身近に置いて手放さなかった牧野富太郎
かつてこの場所にあった書斎は、富太郎を慕う人たちの思いによってここに残され、 「わが植物園」 と富太郎が呼んだ庭園とともにいまも春夏秋冬、その面影を感じられる場所として存在しています。







◆句碑

家守りし妻の恵みや我が学び
世の中のあらむかぎりやすゑ子笹
網子

 壽衛夫人は、借金ばかりの生活苦に耐えながら、好きなことひとつせず、常に牧野博士の研究を第一に考え尽くしてきました。博士の偉業は夫人の内助の功の賜物と言われています。
 博士は、昭和二年に仙台で発見したササの新種に「スエコザサ」の和名と Sasa suwekoana Makinoの学名をつけ夫人の名を永久に世界にのこしました。翌年、他界した夫人のために右の二句を詠んでいます。
 谷中の墓地には、スエコザサと共にこの二句を刻んだ墓碑が建っています。
 この石碑は、昭和六十年牧野富太郎博士展に際し、日原 勇氏より寄贈されたものです。




◆らんまん

初めて朝ドラを最初から最後までみた!




彼岸花



彼岸花が綺麗に咲いていた。




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牧野富太郎について | 練馬区立牧野記念庭園




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今まで2回訪れている。
ovanrei.hatenablog.com




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