2023/09/29 多摩湖・新小平散歩 03 デザインマンホール/火をふところに入れた法印さん/三角神社(庚申神社)/西武多摩湖線踏切/虹の水門/石橋供養塔・馬頭観世音文字塔

前の日記からの続き。
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東大和市デザインマンホール

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2023/09/29 東大和市デザインマンホール(工事中) - ovanの社会科見学






◆火をふところに入れた法印さん



 江戸時代末期のことですが、清水に持宝院という修験の法印さんが居りました。
 その頃は副業に炭焼きをしていた家が多く、馬に炭を積んで淀橋まで運んだものです。
 持宝院も正月の初荷で馬を引いて出かけ、淀橋を渡って少し先の成子(なるこ)坂の下の馬宿で一休みすることにしました。居合わせた人達と気軽に話を交わしているうち、一人の馬方(うまかた)が悪態をついてからんできました。それでも正月だからと酒が出されたのでやれやれと思っていましたが、相手の男は、「酒の肴に・・・」と言って、真っ赤におこった炭火(おき)を火箸にはさんで差し出しました。 持宝院は少しも騒がず、懐から半紙を取り出してその炭を包むと、そのまま懐に入れてしまいました。そして、「私ばかりいただいてはすまないから、お前さんもどうぞ・・・」と、同じように炭を差し出しました。こればかりは普通の人に受けられるものではなく、相手は目を白黒させて謝ってしまいました。
 持宝院は修業を積んだ法印さんでしたから火伏せの印を結んで火を消すことができたのだということです。
東大和のよもやまばなしからー
この作品は、火をふところに入れた法印さんをイメージし、東大和市美術工芸品設置事業の一環として製作したものです。



西巻和彦 作






◆三角神社(庚申神社)



 ここには二基の庚申塔がある。
 向かって右側の庚申塔は合掌形六臂青面金剛像で、享保十三(1728)年に造立されたものである。
 青面金剛を信仰する人々が、塚を築き、塔をまつり、人々の長寿や平穏を祈り、近隣の村々からはるか遠くの地までの安全を願う、願文が刻まれている。
 造立にいたる経過のほか、中世の所領関係を示す地名と、造立に関わった人々の氏名が刻まれている。
 また、左側の庚申塔は、表面が荒れているが、「山口領宅部村」と刻まれている。造立年代は不明で、村山貯水池が建設されるときに、湖底に沈む地域からこの地に移されてきたものである。







西武多摩湖線踏切




少し離れていたところに咲いていた彼岸花







◆虹の水門


オブジェの周りに咲いていた花










◆石橋供養塔・馬頭観世音文字塔



石塔の周りに咲いていた花








続く。
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