2023/11/29 霊性庵




 狭山三十三観音霊場は狭山丘陵付近に点在するが、一説には天明八(1788)年に創設されたといわれている。霊性庵は十七番目の札所である。
 観音巡りは、人々の心の支え、安らぎを求めるためのもので、明治の中ごろまで盛んであった。
 本尊は、如意輪観世音菩薩で、高さ八寸(約24cm)の座像が安置されている。
 霊性庵詠歌(『武蔵野狭山観世音順禮記』より)
  きぎ茂る 峯の庵を尋ね来て
    うれしくもきく法の松風




◆石造




六地蔵




◆石塔




◆石仏




◆供養塔・墓所合祀五輪塔の碑



 両墓制の墓は遺骸の埋め墓(第一次の墓地)と追善仏事を経た祖霊を祀る祭り墓(第二次の墓地)とそれぞれ別に置かれたものである。市の土葬禁止が実施された現在、両墓制の墓はその存在の意義を失い、必要としなくなったとも云えるのである。
 嶺松庵の一角に在る当墓所は大正六年故〇〇外三十五名が多摩湖の湖底の村となって宅部郷狭山村を離れ、共同して土地を求めて墓地を設け、先祖の遺骨や墓石又堂を移したものである。
 市編纂「多摩湖の歴史」によれば、西楽庵地蔵堂(カサ堂)に故〇〇外十一名の部落の墓地があり、堂共に嶺松庵墓地に移したとある。爾来今日七十有九年の星霜を経て、嶺松庵観音堂の改築と墓地の造成が行われる期に鑑み、当墓地の使用者四十一名が相謀り、旧来の埋め墓を排して遺骨を発掘し焼骨して合祀し、跡地を新墓地として造成することになったのである。
 茲に五輪宝塔を建立供養し、先祖の諸霊を祀って永劫の安きを祈り奉る。往時を偲び謹んで碑文を撰する。




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