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◆傳明寺
別のページで。
2023/12/23 傳明寺 - ovanの社会科見学
坂上。
藤坂 (富士坂・禿(かむろ)坂)
「藤坂は箪笥町より茗荷谷へ下るの坂なり、 藤寺のかたはらなればかくいへり」 (『改撰江戸志』) 藤寺とは坂下の曹洞宗伝明寺(でんみょうじ)である。
『東京名所図会』には、寺伝として 「慶安三年寅年 (1650) 閏十月二十七日、 三代将軍徳川家光は、 牛込高田辺御放鷹 (鷹狩りのこと) 御成の時、 帰りの道筋、 この寺に立ち寄り、 庭一面に藤のあるのを見て、これこそ藤寺なりと上意があり」との記事があり、 藤寺と呼ぶようになった。
昔は、この坂から富士山が望まれたので、 富士坂ともいわれた。
『続江戸砂子』 に、 「清水谷は小日向の谷なり。 むかしここに清水が湧き出した」 とある。
また、ここの伝明寺には 名木の藤あり、 一帯は湿地で、 禿 (河童) がいて、 禿坂ともいわれた。
藤寺のみさかをゆけば清水谷
清水ながれて蕗の薹もゆ (太田水穂)
◆大星ビル管理㈱ 本社
HPがあった。
大星ビル管理株式会社
◆徳雲寺
別のページで。
2023/12/23 徳雲寺 - ovanの社会科見学
◆播磨坂
桜の季節をメインに何回か来ている。
2022/03/29 茗荷谷散歩 01 茗荷谷駅/小日向安田ビル/播磨坂/大雲寺/念速寺/白山浴場 - ovanの社会科見学
◆小石川高等小学校跡
明治41年(1908) 4月、 新しく小学校卒業生を対象とする修業年限2~3年の普通教育をほどこす「高等小学校」が設けられることになった。
旧小石川区内で1校設けられたのが、「黒田尋常小学校」(現在地・文京総合福祉センター)に併設された 「東京市黒田高等小学校」である。 生徒数460名。
同年10月に旧竹早町109番地 (現在地・竹早公園)に独立校舎を新築し移転する。同時に名称を「東京市小石川高等小学校」と改める。
昭和3年 (1928)、この地(旧同心町20) に鉄筋校舎を新築移転する。 生徒数 1374名。
昭和16年(1941)4月、「東京市小石川国民学校(高等)」となる。
昭和22年(1947)3月、学制改革により廃校。 新設の「文京区立第三中学校」に引き継がれる。
その後、校舎は「小石川工業高校」 「小石川高校」 が使用したが、昭和35年4月から「文京区立茗台中学校」 となった。
旧同心町 (昭和41年までの町名)
幕府の先手組(さきてぐみ)の同心屋敷があったので、俗に同心町と唱えた。
先手組は頭の下に与力・同心で組織され弓組と鉄砲組とがあった。 将軍出陣のとほうをつとめる。 平時は江戸城本丸の諸門の整備や、 将軍外出のときは供をしてその警衛にあたった。
先手組の組頭は火付賊改を兼ねており、与同心は市中の警備も行った。
同心は与力に属した下級武士である。 江戸奉行配下にも町役人の与力を助ける同心がた。 いわゆる八丁堀の同心である。
明治5年、 近隣の土地を併せて旧来の名をとり同心町くした。