2023/12/23 真珠院


『1647年(正保4年)、松本藩藩主水野忠清の開基である。元々は伝通院塔頭という位置づけであったが、明治になり伝通院から独立した寺院となった。
1923年(大正12年)の関東大震災では、ほとんど被害が無かったが、1945年(昭和20年)の東京大空襲では、全焼した。 』






 この寺に、 於大の方の生家 水野家の墓所がある。 於大の方の甥にあたる当時松本城主であった水野隼人正忠清を開基として、正保4年(1647)に建立された寺である。寺号は、忠清の法名・真珠院殿による。 道一つはさんだ伝通院に於大の方も静かに眠る。
 於大の方は、三河国刈屋の城主 水野忠政の娘で、14歳の時、 岡崎の松平広忠に嫁いだ。翌年家康が生まれたが、仲むつまじかった結婚生活はわずか3年、幼い家康を残して離婚させられた。時は戦国の世、政略によるものであった。
 於大の方は、かげながら家康の成長を見守り励まし続けたという。慶長7年(1602) 於大の方は京都で亡くなった。家康は遺骸を江戸まで運ばせ菩提寺として伝通院を建立し手厚く弔った。






◆回文「宝船」

この和歌は最初から読んでも逆から読んでも同じ音になる回文歌です。
七福神と宝船の絵とこの回文歌を枕の下に置いて寝ると良い初夢が見られると言われています。






◆沼津藩主水野家墓所






◆山門






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