2024/02/09 新御茶ノ水・秋葉原散歩 01 新御茶ノ水駅/一口太田姫神社本宮/湯島聖堂/神田明神/麹室/湯島


24時間勤務アケで御茶ノ水から秋葉原まで散歩。





新御茶ノ水駅



JRのお御茶ノ水聖橋口。






◆一口太田姫神社本宮

『社伝によると、室町時代中期に太田道灌の娘が天然痘(疱瘡)に罹って生死の境をさまよい、京都の一口稲荷神社(いもあらいいなり)が小野篁にまつわる縁起により天然痘に霊験があると聞いた道灌が一口稲荷神社に娘の回復を祈願したところ、天然痘が治癒したという。道灌はこのことに感謝し、長禄元年(1457年)に一口稲荷神社を勧請して旧江戸城内に稲荷神社を築いたとされる。後に城内鬼門に祀られた。
徳川家康の江戸入府後、慶長11年(1606年)に江戸城の改築により、城外鬼門にあたる神田川のほとり(南側・右岸)(現在の東京都千代田区神田駿河台四丁目、後に架けられた聖橋南詰の東側)に遷座した。
明治5年(1872年)、村社に定められ、名も太田姫稲荷神社[1]と改めた。大正12年(1923年)の関東大震災では社殿が焼失、湯島天神に避難したが、昭和3年(1928年)に再建された。昭和6年(1931年)に、御茶ノ水駅の総武線拡張により、現在地に遷座した。淡路坂[2]上の旧社所在地で御茶ノ水駅臨時改札口脇に残された椋の木には元宮を示す木札と神札が貼られている。 』




だいたいwikiの説明と同じかな?
判読できない部分がたくさん。。。


太田姫神社には行ったことがある。

2022/01/20 御茶ノ水散歩 02 明大通り/昇龍館ビル/太田姫稲荷神社/中央大学駿河台校舎跡之碑/三井住友海上駿河台ビル - ovanの社会科見学






湯島聖堂

以前訪れたことがある。
2022/08/22 湯島天神 - ovanの社会科見学






神田明神

以前訪れたことがある。
2018/04/10 湯島散歩 02 神田明神 - ovanの社会科見学









◆麹室



千代田区指定有形文化財(建造物)「糀室 附 明治37年糀室之図」
 天野屋の糀室は、明治37年(1904) に建築されたもので、現在でも天野屋で製造・販売する甘酒や味噌などの糀製造に使用しています。 この室は、 関東ローム層を地下6メートルまで掘り、天井をアーチ型に形成した地下室で、壁・天井には煉瓦が張られています。
 天野屋の創業は、 弘化3年(1846) と伝えられ、 明治37年糀室之図 (千代田区所有・天野博光氏寄贈) によれば、かつては竪坑から複数の室が放射状にのびていたことがわかります。 またこの図面には、 天野屋の創業以前に成立していたと伝えられる室や、 明治期に増設された室が描かれており、天野屋では、長い年月の間に室の改築を繰り返しながら使用してきたことを示しています。 しかし放射状に配置されていた室は、平成3年(1991) に 「床場(とこば)」 (糀菌をつけた米を熟成させるための室) などの一部分を除いて取り壊されました。
 現存する糀室は、 震災・戦災をくぐり抜けて建築当時の構造を残しており、100年以上もの間、糀製造のために使用され続けているという点では、区内で唯一、都内でも数少ない存在といえます。そして、糀製造施設の価値のみならず、江戸時代から引き継がれる糀製造や商いの変遷などを示す文化財としても稀少な物件のため、千代田区指定有形文化財(建造物)に指定しました。
 なお、 糀室は実用しているため一般公開はしていません。







◆湯島




旧湯島(昭和40年までの町名)
湯島の名称は古く、『和名抄』には湯島郷(また由之万(ゆしま))とあり、『北国紀行』には由井島とある。
名称はむかし温泉がわいたからともいわれるが、これは疑問である。 不忍池は海で、 湯島の台地は島のようであったろう。
 聖堂や昌平黌があり、明治には師範学校がおかれ、 近代教育の発祥の地となった。



旧湯島(昭和40年までの町名)
『和名抄(わめいしょう)』に、 武蔵国豊島郡湯島郷とあり、また由之万(ゆしま)ともある。 また、 「北国紀行(ほっこくきこう)』 に由井島(ゆいしま)とある。
 『文政町方書上(ぶん せいまち かたかきあげ)』 には、 湯島の名称はむかし温泉がわいたからとあるが、 これは疑問である。 不忍池は海であったから、 湯島は島のようであったことは考えられる。
 旧湯島1丁目から6丁目までは、 中山道の街道筋として古くから開けた古町である。 古町とは寛永年間(1624~44) までに開けた町で、新年には将軍に目通りなどの特典が与えられた。
 旧2丁目には湯島聖堂 (現存) 隣の旧3丁目には昌平黌(しょうへい こう)があった。 明治になると、 師範学校 高等師範学校がおかれ、ここは近代教育の発祥の地となった。






続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/02/09/233000