中原街道と西川に並走する旧中原街道の史蹟を巡りながら北上する。
さきほど職質してきた警察官にまた出会う。
普通に話すと感じのいい人だった。
◆荏原金刀比羅宮
「?」
おそらく紫水晶(アメジスト)だと思うのだが、こんな無造作に置いてあってよいのだろうか・・・。
◆旧中原街道供養塔群(一)
本供養塔群は、かつては現在地の北方約10メートルの辻にあったが、昭和三十八年の区画整理の際、ここに移されてきた。
四基の供養塔のうち中央の大きい石造地蔵菩薩は、総高1.9メートルに及ぶ。造立年代はわからないが、台石に刻まれている十七の村名や型態からみて江戸時代中期と考えられる。向かって右の地蔵菩薩は延享(えんきょう)三年(1746)寒念仏(かんねぶつ)供養のためのもの、左手奥の馬頭観音は念仏供養のためのもの、左手奥の元文元年(1736)造立であり、この頃戸越本村に馬持(うまもち)講があったことを示す。その前にある聖(しょう)観音は石造墓碑で、貞享(じょうきょう)年間(1684~89)に建てられた。
これらの供養塔は江戸中期から後期の庶民の信仰状況を示すものとして貴重である。
手前の道路は旧中原街道。
このお地蔵さまは享保十二年(1727)に建てられた「子別れ地蔵」と呼ばれる地蔵菩薩です。
ここは、かつて桐ヶ谷の火葬場に続く道筋で、子に先立たれた親が、その亡骸を見送った場所であったと云われております。
中原街道南方向
◆西五反田歩道橋
国道1号・中原街道合流地点(南方向)
奥に上記の「中原口歩道橋」が写っている。
国道1号(北方向)
中原街道(北方向)
歩道橋から撮ったTOCビル
◆地蔵尊
TOCビルすぐ脇。
続く。