旧水戸街道を西へ進み、曳舟川親水公園へ出る。
その後は細長い曳舟川親水公園を南へ進む。
◆曳舟川親水公園緑道部
ビオトーブ
ここにある小川や小さな池は、いろいろな生き物が住みやすいようにつくられています。
こういう場所を「ビオトーブ」といいます。
木や草、水草が育つにつれて、トンボやチョウ、メダカなどがすみつくことでしょう。
皆さんもこうした小さな生き物たちに、やさしくしてあげてください。
曳舟川の由来
曳舟川の名は、江戸時代中期から明治一五年頃まで、篠原村(現四つ木)~亀有村間の二八町(約3km)でサッパコという小舟に乗せた人を、船頭が土手から舳先につけた縄を引いたことにちなんでいます。曳舟川は江戸時代当初は、干拓・埋立が進んだ葛西領沿岸部の本所・深川地域へ飲料水を供給した水路でした。成立は万治三年(1659年)で、亀有上水・本所上水・白堀上水ともいわれました。水源は、元荒川に設けられた瓦曽根溜井(現埼玉県越谷市)で、亀有以南は古隅田川から引いた東側の中井堀と四つ木付近まで並んで流れていました。享保十四年(1729年)、葛西領の用水溜井が、亀有溜井から小合溜井(現水元公園)に変わると、すでに享保七年に廃止されていた上水路は葛西用水の水路として再利用され、古上水堀と呼ばれます。曳舟は、江戸東郊の風物として人気を呼び、多くの紀行文や初代歌川広重の「名所江戸百景」などに描かれています。昭和三十三年(1958年)中井堀と古上水堀が一本化されて以降は、曳舟川の名のみが残り、現在の曳舟川親水公園へと受け継がれています。
◆蓮光寺
◆曳舟十四之東門・西門
曳舟川親水公園の水のしくみ
この流れの水は、水道水が循環しています。
汚さないようにお願いします。
水は水槽内にあるポンプで上流まで運ばれます。
水の一部は、ろ過機を通りきれいになります。
ろ過機を通った水は滅菌機で殺菌されます。
◆曳舟川親水公園
亀有 の名が屡史の記録に登場してくるのは、今から約八百年前のことです。
「義経記(ぎけいき)」によれば、治承四年(1180)、約三万人のの軍勢を率いる源頼朝は、鎌倉に向かう途中、亀無(現在の亀有) などから、海人の釣舟教千艘(そう)を用意させ、 三日間で隅田川に浮き橋を作らせたと記されています。
当時の地形は现在とずいぶん違っていて、浅草付近まで海岸線があったとされ、亀有周辺にも漁に携わる人々が住んでいたと想像できます。
江戸時代の初期には、亀無は亀有に改められました。
亀有は千住宿から東に分かれる水戸佐倉道の街道筋にあたり、一里塚が設けられました。
亀有は旅人のほか、水戸や奥州諸藩の大名の参勤交代、小金原(こがねばら)松戸のお鹿狩り(おししがり)に向かう将軍家の通行もあって賑わいを見せました。
明治三十年(1897)には、常磐線に亀有駅が設置され、都市化の進行によってのどかな農村風景も次第に変化をみせ、現在に至っています。
曳舟川新巣公園マップ
曳舟川親水公園マップ
曳舟川は昔、物資や人を運ぶために重要な川でした。
葛飾区では曳舟川の全長3kmを整備し、区民の皆さんが水と親しむことができるようにします。
曳舟川親水公園マップ
曳舟川は昔、物資や人を運ぶために重要な川でした。
葛飾区では曳舟川の全長3kmを整備し、区民の皆さんが水と親しめる公園づくりを進めています。
上記の公園地図と微妙に文言が変わるんだね(w
続く。