2022/02/28 稲荷町散歩 02 寿区民館/新堀小学校之跡/善照寺/川柳発祥の地の石碑/厳念寺/栄敬寺/吾右ェ門稲荷

どんど南東へ向かう。




◆寿区民館

集会室など借りられるようだね。
寿区民館 台東区ホームページ








◆新堀小学校之跡



 新堀小学校は明治三十四年六月尋常小学校としてこの地に開校され 前を流れる新堀川に面したることから 新堀の名を校名に冠したものである 大正年間には新堀実業補習学校(夜間)をも併設されたこともあるが 昭和二十年三月戦災を蒙って校舎の御復旧開校に至らぬま、終戦を迎えたが昭和二十二年四月廃校に至ったのである
 現在の台東区立台東中学校がその校地である 新堀の校名を永久に残すため教職員並びに卒業生あいはかってこれを建てる



近くにあった地図








◆善照寺









◆川柳発祥の地の石碑



宝暦7年(1757)8月25日、当地(旧浅草新堀端天台宗龍宝寺前)里正柄井八右衛門、無名庵川柳と号し、初めて万句合を開巻す。爾来文運旺んに、逐には文芸の名をもって呼ばれ、今日に至る川柳隆盛の礎を開く。本年その250年に当たって後学相諮り、一碑を建てて開祖の遺業を顕彰し、永く歴史に留めんと祈念するものなり。









◆厳念寺



厳念寺の沿革
 厳念寺は建長五年(1253)、武州足立郡槙村に真言宗の「證誠山成就院護念寺」として創建されました。開基は遊琳法印という僧侶でしたが、覚如上人の影響を受けて「覚了」という法名をいただき、浄土真宗に改宗しました。
 戦乱の中でお寺は移動を重ね、やがて江戸時代初期になってから中興の僧侶・釋宗心によって江戸鳥越村に移り、「厳念寺」となりました。
 その後、火事などで場所を変えながら文化十三年(1817)年十一月十八日、浅草新堀端に「證誠山成就院厳念寺」としてお寺を構え、現在に至ります。

大瓦
 親鸞聖人の七百五十回御遠忌記念として本山・京都東本願寺・御影堂(木造建禁としては日本最大)に使用された大瓦をあしらって整備しました。
 この大瓦は明治初期、淨土真宗の熱心な信者のご寄達によるものです。
 平瓦は約十三キ口グラム、丸瓦は約七キログラムもあります。








◆栄敬寺








◆吾右ェ門稲荷









続く。