2022/05/12 深川散歩 03 戦災殉難者慰霊碑/黒船橋/於三稲荷神社/石像/妙栄稲荷大善神/戦災殉難者慰霊碑

首都高速9号深川線から離れて清澄通りを南下。
船橋で大横川を渡った後は周囲を散歩。





◆戦災殉難者慰霊碑













◆黒船橋






門前仲町の火の見櫓

橋のすぐ脇にあった。



 江戸時代、江戸の市中には葛西の早期発見のため多くの火の見櫓が建っていました。高さ三丈(約9m)ほどの櫓の上部には半鐘が取り付けられていち早く火災の発生を知らせてくれました。
 深川の南部にも佐賀町下の橋際(佐賀二)富吉町(永代一)門前仲町などに火の見櫓が立てられていました。
 なかでも門前仲町の櫓は今の門前仲町の交差点付近かつての富岡八幡宮一の鳥居近くにありました。周辺は永大寺富岡八幡宮三十三間堂といった江戸名所が集り現在同様に門前町としておおいに賑わっていた場所です。
 この櫓は深川一の繁華街を守るという大きな役割をはたしていました。「災害のない街」を願う気持ちは今も昔も変わりません。












◆於三稲荷神社












◆石像

だれがどういう意図で置いたのかまったくわからない。
ご存じの方がいらっしゃったら教えてください。
(o*。_。)oペコッ




場所は丸印のところあたり。
すぐ隣が海洋大学。












◆妙栄稲荷大善神



 妙榮稲荷大善神(妙栄稲荷大善神)
当 妙栄稲荷大善神の御本尊は寛永年間の頃、当地に下屋敷を構えていた。松平越中守の屋敷内に安置されていたと言われ越中守の護り本尊として家運の繁栄と火防けの神様として熱心に信心した稲荷と言われる。維新後明治政府により大名の廃藩が行なわれた際、大名の領地は国有地や一部は一般に開放された越中島の地名は越中守所有の島の意である。
当時、エ中守の留守居役だったと言われる鎌田氏が此の一帯を下賜された時にお稲荷さんも戴き守護神として代々祀っていた。其の後幾多の変遷が有りましたが最後には町会で管理することになりました。震災(大正12年〔1923〕)後この辺いったいは区画整理が行なわれた時、現在の地に安置される。以後社殿も町内の皆様により立派な社殿となり町内の安全と繁栄の守護神として深い信仰を集めて居ります。













◆戦災殉難者慰霊碑

今次大東亜戦争末期 昭和二十年三月十日の大空襲により 当町内及び周辺地区はほとんど原形をとどめぬまでの戦災を被り 三百有余名の殉難者を出しました
これ等の方々の霊を慰め再びこのような災害の発生のない平和な世界を祈り之を建立する













続く。