『尉殿神社は旧社号を尉殿権現と言い、古くから上保谷村の総鎮守社であった。創建当初、尉殿権現は宮山(現在の西東京市谷戸町付近、古くは上保谷分だったと伝承される)にあったが、1622年(元和8年)に上保谷の尉殿権現に、1646年に田無の尉殿権現(現田無神社)にそれぞれ分祀された[1]。なお、宮山の尉殿権現の創建については、上保谷の伝承では建長年間(1249年 - 1256年)、田無の伝承では正応年間(1288年 - 1292年)とされている]。
なお、旧神体の倶利迦羅不動明王(現在は旧別当寺の寳晃院に安置)は水の神で、祭神の級長戸編命は風の神である。これは、水に乏しく、秋から冬にかけて風が吹き荒れた保谷の風土にふさわしい神が祭られていたと考えられる。』
◆尉殿神社の御祭儀
歳旦祭 一月一日十二時齋行
身心を清め、新たな年を寿ぎ、初詣で過ぎた一年の感謝と新年の平安を祈ります。古くより元日は、新しい年を迎える最初の日であり、数え年では誕生日に関わらず元日に皆が一斉に一歳年を重ねます。歳旦祭は新しい年を迎えたことを神様に感謝し、寿ぐ一年の最初の神事です。初詣にお越しになり神様に感謝し祈念ください。
祈年祭 三月十七日 十三時齋行
祈年祭は「きねんさい」と申し上げますが「としごいのまつり」とも言い、暦の上では立春も過ぎ春を迎え、その年の農作物を作り始める時期にあたり、天照大御神をはじめとする八百万の神々に五穀豊穣・国家の安寧を祈るお祭りです。伊勢の神宮では、大 御神に神饌を供する大御館(おほみけ)の儀が執りおこなわれ、続いて勅使が天皇陛下の幣帛を奉る奉幣のがおこなわれます。
榛名祭 四月十五日 十三時齋行
名権現社は上保谷村下柳沢集落の鎮守でありましたが、明治三十九年の神社豊祀令により大正四年に耐殿神社に合祀されました。耐殿神社では毎年四月十五日午後一時より本殿にて榛名斎が催行されます。」
※榛名神社(はるなじんじゃ)は群馬県高崎市に鎮座する神社です。
天王祭 六月十五日 十三時齋行
天王祭(てんのうさい)は、牛頭天王(ごずてんのう)のお祭りです。牛頭天王とは、祇園精舎の守護神とされていましたが、日本各地に伝えられてからは行疫神(疫病を流行らす恐い神様)とみなされ、この神を祀れば疾病などの災厄を免れるとして広く信仰され、全国各地に広がりました。
例大祭 十月一日 十三時齋
例大祭は毎年行われる祭祀のうち最も重要とされる日であり、毎年行われる祭典の中で最も盛大施大きなお祭りのことです。神様の御祭神を称え、皇室の御安泰、氏子・崇敬者の繁栄、御国宝雨情が祈られます。
新嘗祭 十一月二十三日 十三時斎行
新嘗祭()にいなめさい)は、十一月二十三日に宮中および各国の神社で行われる収穫感謝のお祭りです。春の初めに祈年祭を行い五穀の豊穣を祈るのに対し、収穫の秋に豊かに実った新穀を神前に供え、神様の恵みに感謝するのが新嘗祭です。全国の神社では、新穀感謝と諸産業発展の感謝を合わせて祈られます。現在では勤労感謝の碑として国民の祝日となっていますが、このお祭りに由来しています。その年に初めて収穫されたお米のことを初穂といいます。もともと最初に収穫された稲穂を、感謝をこめて神様にお供えすることを意味していました。
氏神神社についてく
氏神神社とは、自らが居住する地域の氏神様をお祀りする神社であり、この神社の鎮座する周辺の一定地域に居住する方を氏子と称します。住んでいる地域をお守りくださる神さまのことを「氏神(うじがみ)さま」と呼びます。私たち日本人は古くから、氏神さまをおまつりする神社のお神札(ふだ)と日本国の氏神さまともいえる天想大御神(あまてらすおおみかみ)(伊勢神店)のお神札を堀におまつり、神さまの存在をより身近に感じながら日々の暮らしを喜んできました。地域の神社・土地の神様を天切にしましょう。
鳥居について
鳥居は神社を表示し、また神社の神聖さを象散する建造物です。鳥居に神社の内は神様が御静まりになる御神域として尊ばれます。また、特定の神殿(本殿)を持たず、山など自然物を御神体、または依代としてお祀りしている神社の中には、その前に鳥居が立てられ、神様の御在を現すものとして重視されています。
狛犬
神社にお参りすると参道の両脇に一対で置かれた石製の狛犬を見かけます。神社境内のことを語るとき、鳥居と並んでまず思い浮かぶほど、狛犬は神社にとって一般的なものとなっています。
貴殿、私たちは石製の物を多く目にしますが、このほかに社殿内に置かれる木製や陶製のものなどがあります。狛犬は高麗犬の意味で、獅子と共に一対になって置かれているとする説もあり、その起源も名勝が示すようにトライの信仰に基づくもので、邪教を払う意味があるといわれています。狛犬の表情は神社、あるいは地域によって実に多様です。各地の神社を訪れた際に、イロイロな表情をした狛犬を眺めることもお参りをするときの楽しみの一つになるのではないでしょうか。
手水の作法
・右手で柄物を取ります。
・水盤の水を汲み上げ、左手にかけて洗います。
・柄杓を左手に持ち替え、水をくみ上げ右手を洗います。
・再び柄杓を右手に持ちかえて、左手の平に水を受けて溜めます。
・口を漱ぎます。柄杓に直接口をつけないようにしましょう。静かにすすぎ終わって、水をもう一度左手に流します。残った水で柄杓の柄を洗います。
参拝方法
「二例二拍手一拝」
尉殿神社は永正二年(1505)の創建と社殿されます。
保谷の歴史を鎌倉時代末期から室町時代にかけて建てられた板碑や、『熊野那智大社文書』 『小田原衆所領役帳』などに記載された「保谷」によって検証したとき、この神社が中世の末期、上保谷に祀られていた社伝は不自然でなく、しかも永正二年に村鎮守となった可能性が高いようです。 それから百七十七年後の江戸時代初期天和二年、『上保谷村惣氏子』と銘文された石燈籠が寄進されました。中世末期から村鎮守としての歴史を経て、 一村をまとめた「惣氏子」という表現になったものと考えられます。
石燈籠銘文(左右同文)
天和二年壬戌九月吉祥日
尉殿権現宮御寶前所願成就所
奉寄進燈籠二基造立之
武州新倉郡上保谷村惣氏子敬白
尉殿神社は江戸時代が終わるまで、本地垂迹思想!神仏習合にもとづいて尉殿権現と称され、上保谷村草創のころ、なくてはならない生活用水を守護する、水の神ジョードノを祀ったことにはじまります。江戸時代その本地の神体は仏教の水の守護神倶利迦羅不動明王(西東京市指定文化財第三十号『木彫彩色倶利迦羅不動明王像』 寳晃院蔵)であり、垂迹=権現の神は龍田風神(奈良県生駒郡龍田神社の祭神級長津彦命と級長戶辺命の男女二座でした。
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