2023/02/03 ひばりヶ丘・武蔵境散歩 02 谷戸せせらぎ公園/谷戸町の地蔵道標(地蔵尊)/発想の森/グリーンプラザ ひばりが丘南/谷戸公民館図書館/西東京いこいの森公園/北原三丁目第1公園

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/02/03/173000




谷戸せせらぎ公園




谷戸の歴史と田無の由来

【 田無発祥の地「谷戸」】
 田無発祥の地は、年代は明らかではありませんが、水の便に恵まれていた谷戸地域であろうと推定されています。
 かつて、この地には、稲荷社や白山社、弁天社、田無山総持寺の前身である西光寺がありました。 田無神社は尉殿権現社として宮山(現在の市立田無第二中学校敷地内)に建立されていました。
 確かな記録としては、小田原城に拠点をおいた後北条家の文献 「小田原衆所領役帳」の中に「田無」の名がみられ、これにより室町時代の田無は、戦国大名支配下にあったということがわかりま

【尉殿権現(じょうどのごんげん)】
 田無神社の境内の由緒記に「本宮はすでに正応年間に、その頃の村落の中心であった谷戸の宮山に鎮座し、尉殿権現と呼ばれていた。明治初年、熊野神社 八幡神社をあわせてお祀りし、田無神社と名をあらためた」とあります。
 また、田無神社が龍田風神の級長彦命の男神、住吉町にある尉殿権現が級長戸辺命の女神を祀っており、二つの神社の神様は夫婦であるという民間伝承も古くからあります。

【 田無の由来】
 田無の語源については様々な説があり、定説は得られていません。文字どおりこの地域一帯が「田のない」ところであり、その核心地域として「田無」の名称が残ったと考えるのがもっとも一般的なな解釈です。
 また、生活の源泉である湧水の流れが浅い階段状の「棚瀬」になっていたからとする異説もあります。なお、古村一帯に水田を開くところから、いわゆる「田を成す」ことが、「たなし」になったとする説や、かつてこの村は年貢の収奪がとくに激しく、種籾すらも取られてしまったため、「種なし」の村と呼ばれ、それが「田無」に変化したという民間伝承がありますが、これらはいずれも史実上の根拠は明らかではありません。

谷戸せせらぎ公園」の園名について
谷戸せせらぎ公園」の名前を田無郷土カルタで入り口広場に配置をしました。
いらっしゃった皆さん、公園名を探してください。
「カルタ」を楽しく探しながら「谷戸せせらぎ公園」を愛していただきたいと思います。






谷戸町の地蔵道標(地蔵尊)







◆発想の森



『発想の森』 開放にあたって
 この森は、去る、 平成4年10月に旧日特金属工業株式会社が住友重機械工業株式会社と合併して10周年を記念に整備され、 『発想の森』 と命名されたものです。
 この森には、松(まつ)、 櫟(くぬぎ) 栗(くり) 榎(えのき)、 楢(なら)、欅(けやき) 杉(すぎ) 等500本近い樹木が繁殖し、ハクセキレイムクドリヒヨドリキジバトオナガシジュウカラ等の野鳥が生息しています。
 又、狸(たぬき)、 蛇(へび)、 土龍 (もぐら) 等の自然の小動物も垣間見られる他、夏になると、 カブト虫、クワガタ虫もやってきます。
 私達の工場が、昭和13年6月、 中島飛行機製作所田無鋳鍛工場として操業を開始する以前、谷戸一帯は、昼なお暗い鬱蒼(うっそう)とした雑木林で覆われていたそうですが、今なお、この森にその面影の一部を残しています。
 この豊かな緑が工場を覆い隠したおかげで、先の太平洋戦争では、僅か一発の爆弾が投下されただけですみました。 森林は、風水害や地震等の自然の猛威から私達を守ってくれるばかりではなく、空爆という人類の作り出した猛威からも守ってくれたのです。
 今般、 田無市の末木市長、 保谷市保谷市長、田無市の長谷川市議会議員、各位をはじめ、地域の方々の熱きお勧めにより、 先人、諸先輩が慈しみ、 守ってきた『発想の森』 を地域住民の皆様に開放することと致しました。
 この森を訪れる皆様が、樹木の気を浴び、 野鳥の囀 (さえずり) に耳を寄せ、明日の田無を夢見て発想するよすがともなれば、社員一同望外の喜びであります。



「発想の森」 緑地の開放にあたって
 この森は、去る、 平成4年10月に旧日特金属工業株式会社が住友重機械工業株式会社と合併して、10周年を記念に整備され「発想の森」と命名されたものです。
「発想の森」には、松(まつ) 櫟(くぬぎ) 栗(くり) 榎(えのき) (なら) 欅(けやき) 杉(すぎ)、等500本近い樹木が繁殖し、ハクセキレイ ムクドリ ヒヨドリキジバトオナガシジュウカラ等の野鳥が住んでいます。 又、タヌキ、蛇(へび)、モグラ等の自然の小動物も垣間見られる他、夏になると、カブト虫、クワガタ虫もやってきます。
 私達の工場が、昭和13年6月、中島飛行機製作所田無鋳鍛工場として操業を開始する以前、谷戸一帯は、昼なお暗い鬱蒼とした雑木林で覆われていたそうですが、今なお、この発想の森にその面影を一部残しています。 この豊かな緑が工場を覆い隠したおかげで、先の太平洋戦争では、わずか一発の爆弾が投下されただけですみました。森林は、風水害や地震等の自然の猛威から私達を守ってくれるばかりではなく空爆という人類の作り出した猛威からも守ってくれたのです。
 今般、米木・田無市保谷保谷市長、長谷川・田無市市議会議員をはじめ、地域の方々の熱きお勧めにより、先人、諸先輩が慈しみ、守ってきた発想の森を地域住民の皆様に開放することと致しました。 この森を訪れる皆様が、樹木の気を浴び、野鳥の歌声に耳を寄せ、明日の田無を夢見て発想する縁がともなれば、社員一同望外の喜びであります。






◆グリーンプラザ ひばりが丘南







西東京市谷戸公民館図書館

西東京市の施設。
谷戸図書館 - 西東京市図書館






西東京いこいの森公園







◆北原三丁目第1公園







続く。
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