2023/02/03 ひばりヶ丘・武蔵境散歩 09 国木田独歩の文学碑/東京都水道局 境浄水場/品川用水取水堰跡/八坂神社/境冒険遊び場公園

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/02/03/210000



国木田独歩の文学碑



今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある






◆東京都水道局 境浄水場

1924年大正13年)3月30日通水。原水は村山貯水池(多摩湖)及び山口貯水池(狭山湖)から引き入れている。境浄水場は第一水道拡張事業第1期工事の一環として築造されたもので、緩速濾過方式の浄水場としては日本最大規模である。正式部署名は東京都水道局東村山浄水管理事務所境浄水場である。
なお、所在する武蔵野市は、水道事業に関して東京都水道局に委託せず、独自の市営水道を運営しているため、境浄水場の水が給水されることはない。 』
境浄水場 - Wikipedia





◆品川用水取水堰跡



 品川用水は、旱魃に悩まされていた品川領内九つの宿や村の農業用水として寛文九年(1669)に開通しました。
 水路は、石積みの土手が今も残る玉川上水のここ境取水口から分水され、現在の武蔵野市三鷹市・世田谷区・目黒区を通り、品川区域に入ってからは細かく分かれ、網目状に広がっていました。その距離は、境の取水口から大井村の用水掛渡井(品川区西大井六丁目一番付近)まで約25.2kmになりました。 この用水により水田開発が進み収穫量も増え、戸越村のように倍増した村もありました。
 明治末期から大正・昭和にかけて品川区域は都市化が進み、田畑が宅地や工場用地に変わっていくとともに農業用水の需要も減り、次第に下水化していきました。
 昭和二十三年(1948)には、品川用水の水利権を三鷹町(現、三鷹市)に譲り、二百八十年にわたって品川区域に恵みをもたらした品川用水はその役割を終えました。





◆八坂神社

中へ入れなかったので外からお参り。







◆境冒険遊び場公園

なんか民間の建物?が建っていたりで雰囲気が違うので調べてみた。
特定非営利活動法人 プレーパークむさしの

こちらは公園内に八坂神社があったのでお参りして次へ移動。





続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/02/03/220000