前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/05/22/203000
坂上。
坂の途中にある阿祥山東福院に因んでこう呼ばれた。別名の天王坂は、明治以前の須賀神社が牛頭天王社と称していたためこの辺りが天王横町と呼ばれていたことによる。
◆愛染院
別のページで。
2023/05/22 愛染院 - ovanの社会科見学
◆東福院
『1611年(慶長16年)に開山された。開山は祐賢法印、開基は大沢孫右衛門尉である。元々は江戸麹町に位置していたが、1634年(寛永11年)に現在地に移転した。
境内には、「豆腐地蔵」と呼ばれる地蔵菩薩像があり、次のような逸話が伝えられている。むかし、当寺付近にあこぎで強欲な豆腐屋があり、その豆腐屋に毎晩豆腐を買いに来る坊さんがいた。そして、この坊さんが買った後の代金を確かめたところ、樒の葉に変わっているので、化け狐か狸の仕業と思い、後をつけて遂に坊さんの左手を切り捨てた。血痕が続いてたので追ってみたところ、東福院の左手を欠いた地蔵まで続いていた。これを見た豆腐屋は反省して、生涯まっとうな商売をし、この地蔵に奉仕したという。
かつては、「出世弁財天」と呼ばれる弁才天像もあった。徳川家康の家臣青山忠成は、「一城の主になりたい」と、この弁財天に出世祈願したところ、成就して大名に列することになった。そのことから「出世弁財天」として注目を浴びることになった。しかし、1945年(昭和20年)の空襲で焼失し、現存していない。 』
東福院 (新宿区) - Wikipedia
豆腐地蔵尊
1951年11月、 ここ新宿区若葉1-5の地に文化放送 (1956年までは日本文化放送協会) の局舎が完成。 翌1952年3月31日に東京で2番目の民間放送 (JOQR) として電波を発し、2006年7月まで54年にわたりこの地でラジオ放送を続けてきました。 新ロマネスク様式の地上6階地下1階建て鉄筋コンクリート造りの局舎は、 設立母体がカトリック聖パウロ修道会であったため、 ステンドグラス風のファサード、 礼拝堂を利用したスタジオ等、随所に教会の雰囲気を漂わせた個性的で味わい深い建物でした。
google mapのマークは上の写真のところ辺り。
おそらく工事中のフェンスの向こうにあったのであろう。
高低差がかなりあった。
この辺りも前に散歩したことがあるけれど、やっぱりまだまだ新しい史跡とかが見つかる。
またいつか来てみよう。