2023/12/01 新堀用水 胎内堀坑口






明治3年(1870) 4月、 この付近の玉川上水の北側の八か所に設けられていた分水口を一つに統合するため、 現在の小平監視所近くから玉川上水に平行して掘られた用水です。
それまで玉川上水から直接取水していた村々の各用水は、この新堀用水から水を引くことになりました。 玉川上水が昭和61年(1986) の清流復活事業により小平監視所から下流は処理水が流れているのに対し、 新堀用水は、 多摩川の自然水が流れ、 ここから枝分かれした市内の各用水を潤しています。 小平の重要な歴史的文化遺産です。



新堀用水における胎内堀 (ほっこぬき) の保全について

小川分水と新堀用水の歴史
 小平市の用水路は、承応2年(1653年)に開削された玉川上水からの分水である小川分水 (小川用水)に始まります。
 小平における新田開発のさきがけとなった小川九郎兵衛による小川新田はこの分水から始められ、 飲料水や農業用水はもとより防火用水にまで広く利用されていました。 小川分水口は当初、 現在の東小川橋付近に設けられ、その大きさは1尺四方 (30.3cm×30.3cm) でした。
 文化10年(1813年)には小川橋上流のこの地に分水口が付け替えられました。 明治3年(1870年) には、 新堀用水が玉川上水の北側に掘られ、 分水口の整備の一環として、 この付近の分水口がこの新堀用水へ統合されました。
 現在、新堀用水は立川通りの小川橋を経由して、 玉川上水の北側を平行して流下し、 関東管区警察学校南側付近で田無用水と鈴木用水に分水しています。

新堀用水の胎内堀 (ほっこぬき) とその保全工事について
 新堀用水における一部の区間では、 「胎内堀 ( ほっこぬき)」 と呼ばれるトンネル状の掘削が行われています。 この地は関東ローム層であることから、 胎内堀は掘ったままでも崩れることは少ないと考えられていたそうです。 しかしながら、 新堀用水で見られる現在の胎内堀は、 劣化が多い状況であり、この地の胎内堀においても乾燥による風化が進んでいました。 このことから、平成30年度から令和元年度において保全工事を行い、 貴重な土木遺産である胎内堀坑口の様子を後世に残していくために、 3Dパネルを用いて復元しております。 (坑口はこの工事の際に15m程下流へ移しております)
 この工事で、文化10年 (1813年)に造られた分水口からの水路跡を胎内堀坑口 (旧位置) 付近に確認できました。




新堀用水胎内堀



新堀用水胎内堀 (ほっこぬき)
新堀用水は明治3年に開削され、 最初の 900mと小川橋の下流約200m は胎内堀という暗渠になっています。この胎内堀(トンネル) はまず、竪穴を堀りその底から両側にトンネルを堀って隣とつなげて1つの地下水路にしました。 一番深いところで広まで5~6m ぐらい。 この竪穴は10間 (18m) ぐらいの間隔で 64個所あり、人が入ったり土を掻き出したりとトンネルを掘るときに使われました。 現在はほとんどの竪穴の上部は埋められたりマンホールに替わったりして4ヶ所だけがそのまま残されています(柵がしてあるところ)。 これを覗くと場所によっては水が流れているのが見えます。




説明版は上記のと一緒。






場所はコチラ