2023/12/23 茗荷谷・後楽園散歩 04 龍閑寺/旧・土の段坂/金剛寺坂/本田労働会館/永井荷風生家跡/法蔵院/真珠院

前のページからの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/12/23/180000






◆龍閑寺

『谷村五郎左衛門が開基となり、傳通院中興第二世の了蓮社定譽上人随波大和尚が、寛永8年(1631)神田龍閑町に創建、小石川金杉への移転を経て当地へ移転』
龍閑寺 - Wikipedia







◆旧・土の段坂

別のページで。
2023/12/23 旧・土の段坂 - ovanの社会科見学






金剛寺

坂下。



坂途中。



坂上



 江戸時代、この坂の西側、金富小学校寄りに金剛寺という禅寺があった。
 この寺のわきにある坂道なので、この名がついた。 小石川台地から、神田上水が流れていた水道通り (巻石通り)に下る坂の一つである。
 この坂の東寄り (現・春日2-20-25あたり)で、明治12年に生まれ、少年時代をすごした永井荷風は、当時の「黒田小学校」(現在の旧第五中学校のある所、昭和20年廃校) に、この坂を通ってかよっていた。
 荷風は、昭和16年ひさしぶりにこの坂を訪ずれ、むかしを懐しんでいる様子を日記にしている。






◆本田労働会館

HPがあった。
全本田労連とは|全本田労連






永井荷風生家跡



永井荷風生育地 (文京区春日2-20-25あたり)
 永井荷風 (1879~1959) 小説家、随筆家。 本名荘吉。 別号断腸亭主人など。 作品には、『あめりか物語』、『腕くらべ』、 『墨東綺譚(ぼくとうきたん)』や『断腸亭日乗(だんちょうていにちじょう)』 などがある。
 荷風は、明治12年(1879) 12月、 すぐ左の細い道の左側20番25号あたり (旧金富町45番地)で生まれた。 そして、明治26年飯田町に移るまで、約13年間住んだ。 (その間1年ほど麹町の官舎へ)
 明治19年には、黒田小学校 (旧区立五中の地) に入学し4年で卒業して旧竹早町の師範学校附属小学校に入った。
 『狐』(明治42年作)という作品に、 生家の思い出がつづられている。
 「旧幕の御家人や旗本の空屋敷が其処此処に売り物となっていたのをば、 其の頃私の父は三軒ほど まとめに買ひ占め、 古びた庭園の木立をそのままに広い邸宅を新築した。・・・・」
 小石川は、荷風の生まれ育った地で愛着が深く、 明治41年に外国から帰ってくると、このあたりを訪ねて 「伝通院』を書いた。 「私の幼い時の幸福なる記憶も此の伝通院の古刹を中心として、常に其の周囲を離れぬのである・・・・」 とある。






◆法蔵院







◆真珠院

別のページで。
2023/12/23 真珠院 - ovanの社会科見学






続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/12/23/190000