2022/02/15 三ノ輪散歩 04 浄閑寺/三ノ輪の稲荷神社/三ノ輪駅/永久寺/三ノ輪歩道橋/まさにわ商栄会/薬王寺

三ノ輪駅周辺を散策後、国際通りを南下。




浄閑寺



 浄閑寺は浄土宗の寺院で、栄法山清光院と号する。安政二年(1855年)の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから『投込寺(なげこみでら)』と呼ばれるようになった。花又花酔の川柳に、『 生まれては苦界、死しては浄閑寺 』と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。
 檀徒の他に、遊女やその子供の名前を記した、寛保三年(1743年)から大正十五年(1926年)にいたる、十冊の過去帳が現存する。
 遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れている。『今の世のわかき人々~』にはじまる荷風の詩碑は、このような縁でここに建てられたものである。


音無川と日本堤

 音無川は王子で石神井川からわかれている。その清流は田端、日暮里、金杉を流れ、三ノ輪橋をくぐり、浄閑寺の西側にそってここから山谷堀をへて隅田川にそそいでいる。今は暗渠になっているが、明治のおわりまで灌漑用水に使われていた。
 音無川にそって、三ノ輪から聖天町(現浅草七丁目)まで続く土手を日本堤(吉原土手)といった。安藤広重の『名所江戸百景』に描かれ、新吉原への遊客でにぎわった堤も今はない。浄閑寺前の三叉路の最も南寄り道路がその名残である。


浄閑寺史蹟

本尊阿弥陀如来、伝、恵信僧都御作
浄土宗、明暦元年(一六五五)開創
一、新吉原総霊塔
一、豕塚
一、俠客濡髪長五郎墓
一、本庄兄弟首洗井戶並首塚
一、小夜衣供養地蔵尊
一、新比翼塚、並谷豊栄盛紫墓
一、書家萩原秋巌墓
一、文豪永井荷風文学碑
一、三遊亭歌笑
一、花又花醉句壁
一、ひまわり地蔵尊
一、永代合祠供養塔


新吉原総霊塔


三遊亭歌笑

古よりの言の葉に山紫水明の地、必ず偉人を生じるとかや。ァァされどわれ未だ偉人の部類に属さることあたわず。若き落語家歌笑をはぐくまし故郷は南多摩絶景の地より。歌笑純情詩集より


永井荷風文学碑

今の世のわかき人々われにな問ひそ今の世とまた来る時代の藝術を。
われは明治の兒ならずや。
その文化歴史となりて葬られし時わが青春の夢もまた消えにけり。
團菊はしをれて櫻癡は散りにき。
一葉落ちて紅葉は枯れ緑雨の聲も亦絶えたりき。
圓朝も去れり紫蝶も去れり。
わが感激の泉とくに枯れたり。
われは明治の兒なりけり。
或年大地俄にゆらめき火は都を燬きぬ。
柳村先生既になく鴎外漁史も亦姿をかくしぬ。
江戸文化の名残烟となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ。
今の世のわかき人々我にな語りそ今の世とまた来む時代の藝術を。
くもりし眼鏡ふくとてもわれ今何をか見得べき。
われは明治の兒ならずや。
去りし明治の世の兒ならずや。
 「震災」  「偏奇館吟草」より



ひまわり地蔵尊



 山谷には、労働に生き労働に老いて、ひとり淋しく人生を終る人が数多くいます。山谷老友会は、孤独の壁をこえて連帯し、はげましあい、またささえあってきましたが、死後の安心なしには、真の生活の安らぎがないところから、ひまわり地蔵尊の建立を思いたちました。ひまわりの花は、太陽の下で一生を働きぬいてきた日雇労働者のシンボルといえます。
 この地蔵尊は、倉田辰彦氏をはじめ、多くの方々のご好意と浄財が寄せられて実現したものです。


山門


地蔵










◆三ノ輪の稲荷神社











三ノ輪駅

東京メトロ日比谷線三ノ輪駅












◆永久寺

門が閉ざされていたので外からお参り。



 目黄不動は、江戸五色不動の1つとして知られている。 江戸五色不動とは、目白・目赤・目黒・目青・目黄の各不動尊のことで、 寛永年間(1624~43)の中頃、 徳川三代将軍家光が寛永寺創建で知られる天海大僧正の具申により、江戸府内の名ある不動尊を指定したと伝える。
 不動明王は、密教ではその中心仏とされる大日如来が、悪を断じ、衆生を教化するため、外には忿怒の形相、内には大慈悲心を有する民衆救済の具現者として現れたとされている。 また、宇宙のすべての現象は、地・水・火・風・空の五つからなるとする宇宙観があり、これらを色彩で表現したものが五色といわれる。
 不動尊信仰は、密教がさかんになった平安時代初期の頃から広まり、不動尊を身体ないしは目の色で描きわけることは、平安時代(784~1179)すでに存在したという。


五色不動(ごしきふどう)』は、五行思想の五色(白・黒・赤・青・黄)の色にまつわる名称や伝説を持つ不動尊を指し示す総称。東京(江戸)のもののほかにも、厳密には四神や五色に関連する同様の伝説は各所に存在し、それが不動尊と関連付けられたものを五色不動と称されることがある。なお、本項では主として東京の五色不動について解説する。
東京の五色不動は、目黒不動目白不動目赤不動目青不動目黄不動の5種6個所の不動尊の総称。五眼不動、あるいは単に五不動とも呼ばれる。 』
五色不動 - Wikipedia


目黒不動(瀧泉寺)

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目白不動(金乗院)

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目赤不動(南谷寺)

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目青不動(教学院)

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目黄不動(最勝寺)

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目黄不動(永久寺)
今回の場所。
これで全部巡ったことになるね!











◆三ノ輪歩道橋

下は国道4号昭和通り













◆まさにわ商栄会

商店街♪












薬王寺


背面(うしろむき)地蔵尊



其の昔この地蔵尊は上野から奥州へ向かう旧街道の傍らに在した。その後道筋が改り、後背の箕輪町通りが新しく拓け、旧道に面していた地蔵尊が新道からはうしろ向きに見えるので、恰も此の尊称が起こったのである。
記録には、
「ここに又不思議なるは御遷座の夜、主僧の夢に神人現わる。告げて曰く汝如何なれば我が面を東に向わしめたるや、そもこの寺の西辺は古陸奥への駅道なり、我はその道に臨み西に向い立ちたるなり、とありければ主僧驚きて遂に石工を招き寄せ事の仔細を語り聞かせしに、石工も夢に同じ告を蒙りたりとて、その夜のうちに御像を動かし面を西に向わし奉りぬ。
さればその後参詣せし人々はその有様を見て、さても不思議なるかな昨日は東に向ひたまいしに今日は西に向はせられたりとて、その事たちまち四方に伝わり、背面地蔵の御名遠近に聞え渡りぬ」頃明和元年(1764)
こうして薬王寺の背面地蔵尊は本尊薬師如来の冶眼信仰と共に毎月の縁日で賑い栄えたのであった。
道路仏でもあり、延命子育てとしての地蔵信仰は今でも多くの人々に語り継がれている。


石塔


山門











続く。