2023/11/07 正福寺


『歴史  1593年(文禄2年)、十乗院日詠によって開山された。同県市川市法華経寺の末寺である。その後、堂宇の損傷が激しくなったため、中興の日迨よって再建された。しかし1880年明治13年)の火災で全焼した。1921年大正11年)にようやく再建された。その際に本寺の法華経寺より日蓮大菩薩尊像が贈られている。
往時は境内とは別個に寺有地として7反14歩(約70アール)の田圃があったが、農地改革で没収されてしまった。 』
正福寺 (浦安市) - Wikipedia




◆しなび地蔵尊

『しなび地蔵尊  当寺の境内には、「しなび地蔵尊」という変わった名前の地蔵尊がある。昔、「しなび」という屋号の家があった。しなび家の者が行商のため江戸に向かう途中、焼野原の中に首のない地蔵尊を見つけた。そして瘡(皮膚病)の快癒を祈願したところ、たちまち皮膚病が治った。しなび家ではこれに感謝して、首の部分も修復し祀った。このご利益にあやかろうと、多くの人々が参拝に訪れたという。その後しなび家は池田家の養子になり、この地蔵尊は池田家に移された。1963年(昭和38年)、池田家の邸宅を改築する際に、当寺に移されたものである。 』
正福寺 (浦安市) - Wikipedia



 昔堀江村に「しなび」という屋号の家がありました。ある時、しなび家の主人が江戸に行商に行ったとき、焼け野原で首が欠けた地蔵尊を見つけました。主人は首を修復することを約束し、家に持ち帰って皮膚の病気が治るようにお祈りしたところ、まもなく病が快復しました。主人はさっそく首を修復して元の形に戻し、丁重に供養しました。
後年、しなび家の者が池田家の養子になり、
 地蔵尊は池田家の屋敷地先に移されました。昭和三十八年(1963)に同家の改築に伴い、正福寺の第十九世住職日忍が境内に祠堂を建てて、地蔵尊を安置しました。
 今日もこの霊験を伝え聞いた人々が参詣のため、同寺を訪れます。





常行堂



 浄行堂とは、浄行菩薩像を安置しているお堂のことです。
 この浄行菩薩像は、明治二十八年(1895)三月、正福寺第十七世住職顕妙院日心上人(じゅうしょくけんみょういんにっしんしょうにん)によってまつられたものです。
 浄行菩薩は、法華経で説くところの末世(仏法が衰え、乱れた世の中)に、衆生(生命あるものすべて)を救済するという四菩薩(上行(じょうぎょう)菩薩・無辺行(むへんぎょう)菩薩・浄行(じょうぎょう)菩薩・安立行菩薩)のうちのひとりで、「清浄(しょうじょう)な所行(しょぎょう)の者」という意味をもっています。
 この像は、洗仏(あらいぼとけ)(病人が自分の体の悪い部分と、仏像の同じところを洗うと治るという)として霊験があると信じられています。まちの人々からは、「浄行様」の愛称で親しまれており、今でも多くの参拝者が訪れます。
 現在ある浄行堂は、平成四年(1992) から同六年にかけて、本堂と参道の修復を行った際に改築したものです。





◆山門





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