2024/02/27 新家橋




 屋号を「しんや 」 と呼ぶ農家の裏に架けられている橋なので、「しんやばし」 と呼ばれています。また、砂川村の中で、一の橋と呼ばれた上流の天王橋から数えて三つ目の橋だったので、「三の橋」とも呼ばれていました。
 「上水記」寛政3年(1791) には、作場橋 (耕作地へ向かう橋)として書かれています。 その後、架替えや拡幅が行われ、現在に至っています。







河津桜