2024/02/27 加藤神社


『東京都瑞穂町箱根ヶ崎にある加藤神社は、加藤景忠を祭神としている。地元の伝承によれば、天正10年(1582年)の武田氏滅亡に際して加藤丹後守景忠が一族郎党とともにこの地まで落ち延びたものの、北条氏麾下の村山土佐守義光によって討たれた[2][3]。地元の人々はこれを哀れに思い「加藤塚」を築いたが、寛政年間に加藤氏の末裔が石塔を立てるなどし、村人も崇敬の念を持つようになって神社に祀るようになったという。』
加藤景忠 - Wikipedia





◆加藤塚跡地



 武田氏の滅亡後、その家臣であった加藤丹後守景忠は妻子及び数名の家来をつれて当地まで逃れてきた。多摩郡を越えて入間郡に入る事ができずこの地で果てたのが、天正十年(1582年)四月十一日である。
 村民はその死をあわれみ、直径11m、高さ1.5mの塚を築き葬った。二基の五輪塔はその当時のものと思われる。
 寛政年間(1790年代)に至り、加藤氏の後裔といわれる上野原の加藤最次郎が石塔を建てたり、練馬区の子孫が圓福寺に馬上丹後守像等を納めたのをきっかけに、村民の間にも信仰の念が深まり、 加藤八幡宮が建立された。
 塚の上には、周囲約8mの大棒をはじめ、杉・桜・くぬぎ等の大木が茂っていたが戦後航空障害と国道十六(現・都道百六十六)号線の開通のため伐採された。 この度、都道拡幅に伴い、塚を現在の地に移し、社も新築した。 それに伴って、町史跡だった加藤塚を町旧跡と改めた。





◆神庫





◆鳥居





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