2024/03/18 西武立川・拝島散歩 06 熊川分水五番/八雲神社/真福寺/熊川分水六番/稲荷社/石川酒造/熊川分水七番

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◆熊川分水五番


ドジっ子看板






八雲神社








真福寺

門が閉ざされていたので遠くからお参り。



庚申塔など


六地蔵






◆熊川分水六番







◆稲荷社







◆石川酒造

江戸時代、石川家は武蔵国多摩郡福生村(現・福生市)一円を仕切る「庭場」と呼ばれる公職を務めた庄屋で、農家を営んでいた。13代目当主・石川和吉は農業に軸足を置きながら在郷商人として、青梅産の縞織物の販売を通じて、酒造業への計画的転換の準備を始めた。1863年文久3年)9月1日、多摩郡小川村(現・あきる野市)の森田酒造の蔵を借り、石川和吉が酒造りを開始したのが石川酒造の始まりである。1880年明治13年)、小川村から熊川(現在地)に移り酒蔵を建てた。1888年明治21年)2月、ビールの醸造を開始、近在や東京・横浜などに販売した。その後、一時期ビールの醸造を中止していたが、1998年(平成10年)再びビール造りを開始した。現在、18代目当主である石川彌八郎(太郎)社長の下、日本酒の「多満自慢(たまじまん)」、地ビールの「多摩の恵」のブランドを製造・販売している。
明治13年の現在地移転時に建てられた蔵や門が国の登録有形文化財として残っている(後述)。1970年代の地酒ブーム以降に増えた見学希望にその都度対応していたが、後に常設の観光施設として受け入れるようにして、史料館などを整備した。見学者は多い年で約1万人(このうち外国人が約2000人)、レストランのみの利用者を含めると約10万人が訪れる。
石川酒造 - Wikipedia



今度は飲みに来てみたい♪





◆熊川分水七番






続く。
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