2024/03/18 西武立川・拝島散歩 07 南稲荷神社/砂川砂利軌道跡/熊川分水8番/千手院/庚申塔/熊川分水/どうどうの滝

前のページからの続き。
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◆南稲荷神社

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2024/03/18 南稲荷神社 - ovanの社会科見学






◆砂川砂利軌道跡



 熊川砂利軌道は、多摩川河川敷の砂利を運び出すために敷かれた砂利専用線路です。
 多摩川の砂利は新都市東京を建設する資材として明治時代に採取が始まり、福生市域では明治三〇年代から現在の羽村市との境や睦橋付近の河原で採取が行われるようになります。明治二十七年(一八九四)に開業した青梅鉄道は砂利の運搬にも利用され、砂利線を使って河川敷から運ばれた砂利は駅で積み替えられ、東京や横浜方面へ送られました。
 熊川砂利軌道は大正元年(1912)頃に敷設され、その後大正十一年(1922)頃には東京府営となります。線路は南公園付近にあった砂利採取場から現在の睦橋通りを上り、この解説板の先で右折し、南内出通りを三百メートルほど直進したのち、真福寺墓地手前で左折して拝島駅西側の砂利積込場へと続いていました。
 多摩川の砂利の出荷は資源の枯渇のため、昭和三〇年代には行われなくなりました。それとともに砂利線も廃線となり、現在ではごくわずかの線路跡だけが残されています。






◆熊川分水8番







◆千手院

別のページで。
2024/03/18 千手院 - ovanの社会科見学






庚申塔



google mapに載っていなかった。
場所は赤丸の所。






◆熊川分水



福生市景観重要資源第1号 「熊川分水」
「熊川分水」は、 明治23年(1890年) に熊川地区の人々の生活用水産業用水・灌漑用水としてつくられました。熊牛稲荷児童遊園に隣接する玉川上水から水を取り込み、かつての熊川村の中を通って福生南公園東側のどうどうの滝から下の川に注ぐ、 幅約1.2メートル、全長約2,075メートルの水路です。 「熊川分水」は地域の生活や産業になくてはならない用水として利用されるとともに、今では貴重な水辺の景観として、 また空石積みなど開削当時の土木技術が残る地域の財産として市民に親しまれています。
このように地域の歴史、文化、生活の特徴が残る「熊川分水」は、まちの景観づくりに重要な価値があると認められることから、 福生市まちづくり景観条例に基づいて「福生市景観重要資源第1号」に指定しました。




こちらもgoogle mapに載っていなかった。
場所は赤丸の所あたり。






◆どうどうの滝



上部にかかっていた橋。
「どうどう橋」






続く。
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