2024/07/17 禅林寺




東谷山禅林寺(とうこくざんぜんりんじ)
 文禄2(1593)年に創建されました。 開基は当初島田氏の祖、 島田九郎右衛門、開山は鎌倉円覚寺の三伯禅師(せんはくぜんじ)の弟子 春覚禅師です。 現在は臨済宗建長寺派に属します。
そんごう
てんかぜんりん
ほんぞん にょい
山号は当地の旧名、 東ヶ谷戸から、寺名は建長寺の額 『天下禅林』 からと伝えています。 本尊は如意輪観音、境内に天明義挙の碑、墓地に 『大菩薩峠』の著者中里介山(なかざとかいざん)の墓があります。
 本堂は昭和 33(1958)年、 庫裡は天保年間(1831~1845) の建築です。 山門は文久2(1862)年に建てられたもので、天井には桃門玄鯉禅師の作と伝わる龍が描かれ、 「雨乞龍(あまごいりゅう)」 と呼ばれています。




 当寺の開基は島田九郎右衛門という人。当地の島田氏の先祖で、屋敷が、寺の前の道路の向こう側一帯にありました。文禄二年(1593)正月の創建、九郎右衛門が自分の寺として開いたと伝えています。
 開山は春学禅師。鎌倉、円覚寺の世代、三伯玄伊禅師の法を嗣いだ和尚さんです。
 山号は東谷山、このあたりの地名、東ヶ谷戸によったものです。寺名は、開基の戒名、島田院殿からすれば、島田院となるところですが、建長寺の「天下禅林」の額から二字をいただいて禅林寺としたと伝えています。
 この寺は「大菩薩峠』の作者 黒介山居士の菩提寺です。介山居士に「遊於処処』という作品があります。その中の「故園」という文章に「禅林寺に守山和尚をたずねてみると折柄、檀家総代を集めて、観音堂建立の相談であった。 和尚の案内でお堂の敷地を見せてもら.....」と書いている観音堂というのがすぐ前の建物です。中里家は寺の前の方のずっと奥まった熱にありました。山門の傍の右にある梅は、中里家の庭にあった樹です。









◆観音像

だいじ-だいひ【大慈大悲】
広大無辺な仏の慈悲のこと。大慈悲。▽「大慈」は仏が衆生しゅじょうを救う大きな慈しみ、「大悲」はその慈悲の心の意。









◆煩悩坂









天明義挙の碑



天明義挙(てんめいぎょひ)の碑.
 江戸時代中期以後,商品経済の発展とともに、農民間の経済的格差が顕著になります。
 江戸時代三大飢饉のひとつとよばれる天明期は、 浅間山の大爆発や未曽有の大飢饉の影響で、豪農たちは米や雑穀の買い占めや売り惜しみをおこないました。
 天明4年(1784) 2月、羽村の名主·組頭層中心二、近四十力村、狭山地方(武蔵村山市付近)の豪農商層の倉などを打ちこわしました。世に天明一揆とも天明の打ちこわしともいわれる農民一揆です。
 明治27年(1894)、一揆の犠牲者九名を「義民」としてたたえ、記念碑が建立されました。羽村の精神史を象徴する「義民」の碑です。









禅林寺東山会館









◆鐘楼









地蔵堂









◆お堂?

洞窟?の中にお堂があった。
詳しい事をご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。









◆ハス









◆山門










場所はコチラ