2024/09/08 一峰院


『1395年(応永2年)、三田将定の開基である。将定は平将門の末裔といわれている。所属宗派である臨済宗建長寺派の本山建長寺の末寺である。江戸時代は寺領13石が与えられていた。
当寺では、境内にある五輪塔を開基の将定の墓とみなし、大切に保護しているという。 』
一峰院 - Wikipedia




龍珠山(りゅうしゅざん) 一峰院(いっぽういん)
 臨済宗建長寺派のお寺で、 応永31年 (1424) 三田雅楽之助平将定(みたうらのすけたいらのまささだ)の開基とされ、開山は周防国 (山口県)高山寺に住した玉英賢轄(ぎょくえいけんとう)です。 宝暦九年(1759)に焼失し、 七年後の明和三年に再建されました。
 寺宝に十一面観音像、不動明王像、 承応元年(1652) 元禄期に作られた袈裟(けさ) および安永三年(1774)の、近世臨済禅を代表する高僧大休慧昉による「一峰院亀鑑(きかん)」 (住職規則) や、 広い地域よりあらゆる階層の人々から寄進された大般若経六百巻などがあります。 また境内には経塚や天保年間建立の出羽三山碑もあります。







◆半僧坊大権現







◆観音像








出羽三山供養塔







◆石塔







日中韓三国平和友好観世音菩薩像







◆鐘楼門



 当門の構造形式は、一間三戸(いっけんさんこ)、鐘楼門、 入母屋造桟瓦葺 (さんかわらぶき)(当初は茅葺) であり、 正面は南に面しています。 建築年代は 『諸色写之帳(しょしきうつしのちょう)』(小林清家文書)によると文政2年(1819) 頃で、大工は羽村などで活躍した、 木野下村(現青梅市)の堂宮大工(どうみやだいく)小林藤馬です。
 この門の大きな特徴は、 寺院の山門としての楼門(二階に腰縁(こしえん)をもつ形式) と鐘楼を兼ねていて、 二階部分が、 梵鐘を釣るために一般的な楼門と比べて建ちが高く、壁が設けられていないことです。 また、 一間門(いっけんもん)であるにもかかわらず、三ヶ所に扉が付いていることや、 すべての柱に角柱を用いていることも珍しい形式です。 建築様式は和様を基本として禅宗様(ぜんしゅうよう)との折衷様(せっちゅうよう)です。






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