2017/09/07 01 猿楽町散歩 02 夏目漱石 吾輩は猫である石碑/東京音楽大学発祥の地/男坂/女坂/キカイ湯跡

前の日記までは南西方向に歩いてきたが、北西方向へと進路を変える。
男坂、女坂はかなりきつく、まわりは学校だらけ。



夏目漱石 吾輩は猫である石碑




 慶應三年一月六日、牛込に生る。金之助と命名。市ヶ谷小學校に入學後、錦華小學校に轉ず。同校卒業後一っ橋に入り、業を卒へずして退き、二松學舎に入りて漢學を學ぶ。(大正六年「新小説」より)

明治二十三年、東京帝大に入学。
正岡子規と交り俳句と漢詩を作る。
明治二十八年、松山の中学に赴任。
明治二十九年、熊本第五高等学校教授となる。
明治三十三年、ロンドンに留学。
明治三十六年、帰朝。東京帝大講師となり、英文学を講義。
明治三十八年、処女作「我輩は猫である」を発表。
明治四十年、講師を辞し、朝日新聞社に入社。
大正五年十二月九日逝去。五十才。
「主な作品」
坊ちゃん・草枕虞美人草三四郎・それから・門・心・道草・明暗


全部読んだ・・・かな?
明暗は執筆途中で亡くなったそうで、そこで終わっている。
読んでいてビックリした。




東京音楽大学発祥の地

 東洋音楽学校(現東京音楽大学)は、明治40年(1907)5月1日この地に設立された。校長鈴木米次郎は、音楽教育の先駆者で、恩師でもある伊沢修二高楠順次郎、島崎赤太郎らを評議員に迎え、わが国音楽文化の近代化を目指して創立した。




男坂






 この坂を男坂といいます。駿河台二丁目一一番地の端から猿楽町へ下る石段の坂「女坂」に対して名づけられたものです。この坂のできたのも比較的新しく、大正一三年(1924)八月政府による区画整理委員会の議決により作られたものです。男坂は同一場所、あるいは並行してある坂の急な坂を、女坂はゆるやかな坂というように区別されて名付けられています。




◆女坂




 この坂を女坂といいます。駿河台一丁目七番地の端から猿楽町に下る坂「男坂」に対して名付けられたものです。男坂が一直線の急坂であるのにくらべ、中途で中やすみするようになっているので、「女坂」と呼ばれています。この坂のできたのは、大正一三年(1924)八月政府による区画整理委員会の議決により作られたものです。



男坂と違ってこの坂の途中には家が何軒かある。
毎日この坂を上り下りしてるんだろうなあ。



◆キカイ湯跡

ここも行ってみたら何もない・・・・
ように見えましたが、WEBで調べると「まちの記憶保存プレート」があるようだ。
このプレート、まだ何個かあるみたいなので、調べて行ってみよう。



続く。