まだまだ新中川の東側を南下する。
この後あたりは見たいスポットの次までの距離が長くなる。
ひたすら歩いた。
この鹿見塚のある神社は昔から鹿骨発祥の地といわれています。伝説によると、戦国時代のころ、興亡のはげしい世の中を離れ、安住の地を求めて、石井長勝・牧野一族・ 田島一族・中代一族および別系の石井一族が開拓しました。ある日のこと、日頃尊崇している鹿島大神が常陸(茨城)から大和の奈良に向かう途中、大神の杖となっていた神鹿が急病で倒れたの、塚を築き ねんごろに葬った所だと伝えられています。
昭和四十二年八月、氏子中によって「鹿骨発祥の地 鹿見塚」の碑が建てらています。台座はコンクリート三段組で高さ98cm・碑石は高さ81cm・幅52cm・厚さが13cmありあります。現在の鹿見塚神社は昭和四十八年に再建築されました。
◆鹿骨親水緑道
◆鹿骨二丁目公園
境内社(おそらく水神宮)
◆塚
杭かなとおもってそのまま通り過ぎるところでした。
下にお皿があり、塩が入っていたので何かの塚だと思われる。
拡大して、色など編集してみたが、何か刻まれているのは判るが、なんと刻まれているのかは判読できなかった。
続く。