2019/04/13 方南散歩 01 代田橋駅/代田橋1号踏切/北向子育て地蔵尊/大原稲荷/和田堀給水所/新藤扶桑教太祠/松原富士

24時間勤務アケで、京王線代田橋駅からJR中野駅まで歩く。
この日記のエリアは代田橋から明大前駅まで西に向かって散策。




代田橋駅

スタートの京王線代田橋駅




代田橋駅から見た桜。
だいぶ散っていたけど綺麗だった!



代田橋1号踏切

すぐ脇は代田橋駅








京王線




踏切すぐ近くの桜が見事だった。
こちらもだいぶ散ってしまっている。




◆北向子育て地蔵尊




◆大原稲荷神社


楽殿



大鳥神社



鳥居




◆和田堀給水所

2019/03/12 羽根木散歩 03 地蔵と庚申塔/笹尾邸/大原わくわく公園/羽根木神社/和田堀給水所/代田橋 - ovanの社会科見学
3/12に反対側から撮影している。




◆新藤扶桑教太祠











◆松原富士(新藤扶桑教太祠境内)






 神道扶桑教の起源は元亀三年(1572)富士道開祖藤原東覚角行師が戦国乱世の荒廃した世を救うため「天地平安 萬人安福」を真願として富士道を開かれたことに遡ります。
 角行師が御神威を篭めて謹製奉願した御神鏡は富士講により代々受け継がれ此処、扶桑教太祠に奉斎されています。
 江戸時代には全国各地に多くの富士講が組織され富士山への登拝修行が行われました。明治時代に入り初代管長宍野半が多数に分立していた富士講を統合し「富士山 日本」を意味する「フソウ」を教団として明治十五年(1882)に明治天皇の勅裁を賜り「神道扶桑教」は特立いたしました。
 当初、扶桑教富士塚は芝神明町(現港区浜松町)に建立されました。その後、太祠の移転とともに大正八年(1919)この地に移設。高さ約10mほどの立派な富士塚でしたが昭和二十年(1945)五月二十五日の第三次大空襲により罹災し本殿他境内建物が全焼したため、現在は富士山内外八海八大龍神宮をあわせ斎っています。
 廻りに建つ石碑は神明町より移設したものです。





続く。