2020/03/17 羽田散歩 04 五十間鼻無無縁仏堂/羽田の漁業/弁天橋/旧穴守稲荷神社 大鳥居/妙力地蔵尊/藤崎稲荷神社

多摩川を東へ進みついに羽田空港手前までやってくる。
そのあとはさっきまでのルートのやや北側を西へ進む。



◆五十間鼻無無縁仏堂



 創建年代は、不明でありますが、多摩川、又、関東大震災、先の第二次世界大戦の、昭和二十年三月十日の東京大空襲の折には、かなりの数の水難者が漂着致しました。
その方々をお祀りしていると言われております。
元は多摩川河口寄りの川の中に角卒婆が一本立っているだけで有りましたが、初代漁業組合長 故 伊東久義氏が管理し、毎年お盆には盆棚を作り、有縁無縁の御霊供養をしていました。昭和53年護岸工事に伴い現在地に移転しました。その後荒廃著しく、仲七町会 小峰守之氏、故 伊東秀雄氏が私財を持ち寄り復興致しました。
又、平成16年に村石工業、北浦工業、羽田葬祭スミヤ、中山美装、中山機設の協力により新たにブロック塀、角卒婆、桟橋などを修理、増設、現在に至ります。
又、新年の水難祈願として、初日の出と共に、羽田本町日蓮宗 長照寺住職並びに信者の方々が、水難者の供養を毎年行っています。


お地蔵様



赤レンガの堤防と五十間鼻
 羽田のレンガ堤防は、洪水対策として大正から昭和初期にかけて行なわれた多摩川改修工事で建設された。自然堤防上、道路面から腰高ほどのレンガ堤防を建設したのは、堤内外を日常的に往来する羽田猟師町の土地柄への配慮であった。イギリス積み工法による堤防は「赤レンガの堤防」と親しまれ、羽田の原風景ともいえる。そのレンガ堤防の突端、多摩川と海老取川の合流地点には、長さ50間(約90m)の石積みの沈床があり「五十間鼻」と呼ばれる。新防潮堤が完成し隠れてしまったが、今も昔も初日の出の絶景スポットである。




◆羽田の漁業




柵が邪魔!



◆弁天橋

下は海老取川









◆旧穴守稲荷神社 大鳥居




 この大鳥居は、穴守稲荷神社がまだ羽田穴守町にあった昭和初期に、その参道に寄付により建立されたと伝えられています。その後、終戦とともに進駐した米軍により、羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町の地域一帯に居住していた人々は強制退去され、建物は全て取り壊されました。
 しかしながら、この大鳥居だけは取り壊しを免れて羽田の地に残され、往時を物語る唯一の建造物となりました。
 米軍から、施設が日本に返還された昭和二十七年七月、東京国際空港として再出発した後も、この大鳥居は旅客ターミナルビル前面の駐車場の一隅に残され、羽田空港の大鳥居として航空旅客や空港に働く人々に親しまれました。また、歳月を重ね風雪に耐えた大鳥居は、進駐軍に強制退去された元住民の方々の「心のふるさと」として往時を偲ぶ象徴となりました。昭和五十九年に着手された東京国際空港沖合展開事業により、滑走路や旅客ターミナルビル等の空港施設が沖合地区に移設され、大鳥居も新B滑走路の整備の傷害となることから、撤去を余儀なくされることとなりました。
 しかしながら、元住民だった多くの方々から大鳥居を残してほしいとの声が日増しに強まり、平成十一年二月、国と空港関係企業の協力の下で、この地に移設されたものです。
 ここに関係各位に謝意を表すとともに、この大鳥居が地域と空港の共生のシンボルとして末永く親しまれることを念願する次第です。






◆妙力地蔵尊




◆藤崎稲荷神社






続く。