2022/05/10 森下散歩 03 住吉駅/祠/亀の湯/猿江橋/八百霊地蔵尊/宮田製作所跡

住吉駅西側エリアを散策。
大横川も渡り、どんどん西へ進む。







住吉駅

東京メトロ半蔵門線住吉町駅。












◆祠

こちらは完全に私有地の中にあるので外からお参り。










◆亀の湯

銭湯♪











猿江

下は大横川。





公園




大横川

 大横川は横川ともいい、万治二年(1659年)德山五兵衛重政、山崎四郎左衛門重政の本所奉行によって、本所深川埋立をおこなったJ 開削された。
 大橫川は当時、墨田区向島一丁目と吾妻橋一丁目との隅田川分岐点から東流し、北十間川に接する点から南下して本区に入る。住吉一丁目および猿江一丁目を左岸とし、森下五丁目を右岸とし、木場五丁目付近において西へまがり、永代一丁目と越中島一丁目の間を通り、隅田川と合流する延長7.11キ口メートル、巾20ないし35メートルからなる本区における最長の河川である。
 なお、江戸城から見て横に流扎るので大横川と名づけられた。










◆八百霊地蔵尊



昭和二十年三月十日大東亜戦争による米軍東京大空襲により一朝にして犠牲となった当時の深川高橋五丁目の町民八百余名の霊を慰めるため昭和二十一年生存者町民有志によりこの地蔵尊が建立された
この由来を後世に伝へ併せて恒久の平和を祈るため三十周忌を記念してこの碑を建てた











◆宮田製作所跡



 宮田製作所は、宮田栄助(1840~1900)が、明治十四年(1881)に京橋区木挽町一丁目(現中央区銀座)に創設Lた宮田製銃所から始まりました。
 栄助はもと笠間藩抱元の鉄砲鍛冶師で、廃藩後、砲兵工廠に勤めながら資金を貯え、資本家大倉喜八郎の後援を得て工場を開設しました。当地(本所区菊川町)に工場を移Lたのは明治二十三年(1890)のことで、次男政治郎(1865~1931 後の二代目宮田栄助)が協力しました。
 政治郎は父と同じく鉄砲鍛冶の修業経験をもつ在来技術者の一人でしたが、田中久重工場(東芝の前身)などに勤めたことから近代的技術にも通じ、外国人からの依頼を受けて自転車修理を手がけるようになりました。
 新工場の開設後は旋盤など先進的な工作機械を導入L、新式猟銃の開発。量產に努めていましたが、狩猟法改正の影響などもあって国産猟銃の需要は減退し、新たな産業を興す必要が生じました。そこで自転車生產を主力にすべく、政治郎は方向転換を計った のです。政治郎は鋼棒を穿孔する銃身製造技術を活かし、工場移転後、安全型自転車の試作に成功しました。
 明治三十三年(1900) には商号を宮田製作所に改称し、同三十六年にはアメリカ製の自転車をモデルとした 「旭号」 を第五回内国勧業博覧会に出品して高い評価
をうけ、以後、本格的に自転車の製造を手がけるようになりまし製造を手た。











続く。