以前お参りしている。
2016/07/20 part3 穴八幡宮/早稲田大学會津八一記念博物館/坪内博士記念演劇博物館 - ovanの社会科見学
2017/02/15 part4 穴八幡宮/箱根山/夫婦木神社 - ovanの社会科見学
『穴八幡宮(あなはちまんぐう)は、東京都新宿区西早稲田二丁目の市街地に鎮座している神社。蟲封じのほか、商売繁盛や出世、開運に利益があるとされている。旧称は高田八幡宮。 』
穴八幡宮 - Wikipedia
◆御由緒
《御祭神》 鷹神天皇・仲哀天皇・神功皇后
《御由緒》
康平五年(1082)奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折り、日本武尊命の先にならってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧請し、永く東北鎮護の社として祀られました。
寛永十八年(1641) 宮守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、この時期から穴八幡宮と唱えられるようになりました。同年この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。この頃神木の松から瑞光を放ち、色々奇瑞のあったことが、三代家光将軍の上に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。
慶安元年(1648)社殿再興の折りに幕府から氏子として牛込郷三十六ヶ町が定められ、翌年の慶安二年(一六四九)社殿を始め数々の殿舎が竣工し、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社として重んぜられました。その後も幕府により数次にわたって造営・営繕が行われましたが、特に元禄十六年(1703)の造営は、江戸権現造り社殿として壮麗を極めました。
安政元年(1854) 青山火事のため類焼し、幕府より造営料などが奉納されましたが、幕末の多事と物価高騰のため仮社殿のまま明治維新を迎えました。その後、昭和初年に旧時の盛観に復しましたが、今次大戦により社殿はことごとく罹災しました。しかし戦後はいち早く仮社殿により再興し、その後崇敬者の御芳志等により平成元年から慶安元禄の江戸権現造りの当社設計絵図を基に御本殿御社殿の造営をはじめ、平成十年の随神門竣工をもちまして往時を偲ぶ姿に復し、引き続きその他の再建、また境内地の整備に着手し今日に至っています。
◆高田馬場の流鏑馬
享保十三年(1728) 徳川八代将軍吉宗が世嗣の疱瘡平癒祈願のため、穴八幡宮へ奉納した流鏑馬を起源とし、以降将軍家の厄除けや若君誕生の祝いに高田馬場(現在の西早稲田三丁目付近)で流鏑馬が奉納された。
明治維新以降中絶し、高田馬場も廃されたが、昭和九年に皇太子殿下御誕生奉祝のため、穴八幡宮境内にて再興され戦前、数回行われたが、戦争のため中断された。
昭和三十九年、古式流鏑馬を保存するため、現在地に移転した水稲荷神社境内にて復活。 昭和五十四年からは都立戸山公園内に会場を移し、毎年体育の日に行われている。
古式豊かで勇壮な高田馬場の流鏑馬は穴八幡宮の神事として現代に伝えられる貴重な伝統行事である。
以前の説明版(2022/02/15 撮影)
享保十三年(1728) 徳川将軍吉宗が世嗣の疱瘡平愈祈願のため、穴八幡神社へ奉納した流鏑馬を起源とし、以来将軍家の厄除けや若君誕生の-祝いに高田馬場で流鏑馬が奉納された。
明治維新以降中断し、昭和九年に皇太子(現天皇)誕生祝いのため再興され、数回行われたが、戦争のため中断された。昭和三十九年流鏑馬の古式を保存するため、 水稲荷神社境内で復活し、昭和五十四年からは都立戸山公園内に会場を移し、毎年十月十日高田馬場流鏑馬保存会により公開されている。
古式豊かで勇壮な高田馬場の流鏑馬は、小笠原流によって現在に伝えられており、貴重な伝統行事である。
◆布袋尊
保護司は 社会奉仕の精神によって 困難の多い聖職に無給で献身している篤志の国家公務員である。
先に昭和二十五年五月二十五日保護司法の施行に戦前からの司法保護委員制度の本旨を承けて保護司制度が置かれて以来 保護司はそれぞれ所属の全国各保護区において 特志家の中から選ばれてその任に就き人生の歩みの中で非行に陥り又は犯罪者となった人々の更生の保護者として 鋭意挺身これが保護善導に努めその再犯を防止し其の更生を助け 累年営々篤行を摘んで社会に多大の貢献をしている
殊に我が新宿区においては近年この地域の目覚ましい発展と市井の殷賑繁華の蔭に非行犯罪の多発が認められるに際し 全区の保護司が銘々よくその重要な役割を自覚し 深い使命感のもとに常に更生保護の完遂に努めさらに進んで世論を指導して地域の非行犯罪の予防をはかり もって我が新宿区の区民福祉の維持増進に寄与することが極めて着実且つ深甚である
この時に当り新宿区保護司会長北原唯一 この保護司の崇高偉大な功績を永く讃仰するため 保護司顕彰碑の建設を主唱し同会総会の決議をもって この保護司顕彰碑を建立し併せて物故保護司各位の芳名を刻んで永久にその遺徳を顕彰するものである
この建碑に対して 高松宮喜久子妃殿下より 額面更生保護の四字の 御染筆を賜り さらに区政当局並に区民有志及び其他江湖の有識諸賢から多大の協力を与えられたことを我等一同感激措く能はざるところである
なを 上面の名号は新宿区保護観察協会々長白根松介の謹書による
◆神武天皇遥拝所
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2016/07/20 記事アーカイブ
まず、近くの神社にお参り
「穴八幡宮」です。
残念ながら木の枝を剪定中でじっくり見ることができませんでした。
流鏑馬が有名ですね!
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2017/02/15 記事アーカイブ
◆穴八幡神社
前に行った時は木の剪定中で、業者の車とかいっぱいで、撮りたい写真が撮れませんでした(w
流鏑馬、見てみたいなあ。