2023/01/15 大久保散歩 06 下村湖人終焉の地/新大久保駅/明るい会商店街/皆中稲荷神社/第一大久保ガード/百人町一丁目歩道橋

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/01/15/200000





下村湖人終焉の地



 この地は、小説家・教育者・社会教育家下村湖人(1884~1955)が昭和六年(1931)から昭和三十年(1955) 四月二十日に亡くなるまで過ごした場所である。
 湖人は、現在の佐賀県神埼市に旧鍋島藩士内田家の二男として生まれた。賀中学校在学中より詩歌や文学に興味を持ち、内田夕闇の筆名で文芸雑誌に投稿した。 第五高等学校から東京帝国大学で英文学を専攻し、卒業後は母校佐賀中学校の教員となり、後に唐津中学校・台中第一中学校・台北高等学校の校長を歴任する。 昭和六年(1931)に台北高等学校長を辞し、東京府豊多摩郡大久保町百人町に転居。同郷の社会教育家田澤義鋪(よしはる)の要請で大日本連合青年団の嘱託となり、小金井の青年団講習所(浴恩館)の所長にも就任、社会教育活動を行った。
 昭和七年(1932) からは文筆活動も行い、翌年歌集「冬青葉」を出版。昭和十一年(1036)から自伝的長編小説 「次郎物語』の執筆を開始、ベストセラーとなり映画化も行われた。戦時中も疎開せず、この地で文筆活動を続け、
戦後も「次郎物語」第四部・第五部や、田澤義鋪の伝記 「この人を見よ」等を執筆した。



AZALEA COURT
此の周辺は徳川時代よりつつじの名園として広く世 に知られていた
たまたまつつじ をこよな く愛した下村湖人昭和6年から此の地に居を構えるところとなり不朽の名作次郎物語他多くの名著を生み他界 (昭和30年4月)したのも此の地であつたこの由来から つつじの庭 と命名する





新大久保駅

JR山手線新大久保駅





◆明るい会商店街

商店街♪





◆皆中稲荷神社





中央緩行線(35)第一大久保ガード・百人町一丁目歩道橋



反対側(西側)は手前に次の百人町一丁目歩道橋があった。



下は職安通り。

この歩道橋は動物シリーズだった。





続く。
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