2023/10/02 小平神明宮


『小平神明宮 (こだいらしんめいぐう)は、東京都小平市小川町一丁目にある神社。地域の開拓願いから、村の名手・入村農民によって開拓され、社殿を造営し村の総氏神とした。別名を「神明さま」と呼ばれている。 』
『明暦2年(1656年)、村の名主である小川九郎兵衛が、水利に乏しく生活に過酷な不住の土地であった当地の開拓を志した。小川村の開拓願いと同時に、村に移り住む人々の守護神をとの願いから、五千坪の土地を社地として、神明宮勧請の願いが出された。荒地の開墾は難航したが、小川村の開拓事業は順調に進んだ。5年後の寛文元年(1661年)に、西多摩郡の殿ヶ谷村(現・瑞穂町)鎮座の延喜内社(平安時代以前からの古社)、阿豆佐味天神社(あずさみのあまつかみのやしろ)の摂社、神明ヶ谷の神明社から分祠遷座された 』
小平神明宮 - Wikipedia





 明暦二年(1657)、小川村の開拓願と共に神明宮の勧請を発願。五年後の寛文元年(1661)、宮崎主馬は名主・総農民の協力を得て社殿を造営し、 小川村の総氏神とした。今日十三社十六座の神々を祀る。
御主神は天照大御神(大日靈貴尊)と申し上げ、伊勢神宮の内宮と同一神で、広く古来より 『神明さま』と親しく呼ばれております。
 広大無辺の御神徳を日の大神とも仰ぎ、太古より変わらぬその恵みと幸せは万民に遍く、世の闇を照らし邪悪を駆逐し、温かな和の心、慈しみの心で生命ある万物を産み育て導き下さっています。この御神威を崇敬する全ての人々が将来に渡って享受し、健康・生産・平和・繁栄の神徳を得て、四季の祭が豊かに継承されています。





小平神明宮御神記
御主神 大日要貴尊(るめむちのみこと)
 天照大御神、御名を大日安責尊と申しその御恵沢は不偏照、日本民族の大祖神であり、国民崇敬の精神的中心であります。
 その御徳は「光華明彩、字内に光械」あらせられ、天地自然に恵みを与え、生かし、万人にその処を得さしめ、日の大神と仰がれ拾い「これ祖、尊きこと並ぶものなし」とあるように最高貴の神と称せられ、日本国の繁栄と国民生活の安定をお護り下さっております。

相殿の神 三社
一、天滿宮
祭神 菅原道真
菅公は人格神で文学、学問の祖神として、崇敬され、至誠一貫人間の正道を実践され、数々の処世の教訓は、国民の範とされ、広く「天神さま」の愛称で全国にその信仰が厚い。
一、山王宮
祭神 大山祇神
この神には「春には山から国畠の神として里に出られ、秋には山の神として山に帰られる」という山の神の信仰が全国共通にあり、山獄の神と共に農業神の神格があり高山信仰が、鉱山、航空、航海を守護する渡航の神、交通運輸の安全の神として信仰も厚い。
愛宕
祭神 軻遇土神
この神は、秋葉神社の祭神と同じで、火の神として人間生活を大きく発展せしめ給うた、古代から現在及び将来にわたって、火の力による文明開化は、人類の文化の原動力であり、人間にして火の文化なくして人間の生活は存在しない、火の神、防火の神、農耕の神としての信仰も厚い。




◆童心神





◆東殿三社(八幡神社/八雲神社/春日神社)



御神德記 東殿三社
春日神
祭神 建甕槌神(たけみかつちのかみ) 経津主神(ふつぬしのかみ)
 両祭神は、正義人道に絶倫の神威をおもちになり、弱い人に強い意志を与え給い、心から善言美詞をもって祈る人に言葉の神として限りない感想を垂れ拾う。
 武芸の神、心身鍛練、健康保持、慈悲の神として信仰をあつめている。
八雲神社
祭神 健早須佐雄神
 この祭神は、健剛、救済に絶大の力を発揮され、数々の悩める人の救いの神として、祈る人に温い愛を施し拾い不正、邪悪には、破邪剣正をもって臨まれ拾う。
 人命救助、疾病、災難、苦悩に除災招福の信仰と同時に山林、農業、漁業の守護神ともなっている。
八幡神社
祭神 品陀和気神
 この祭神は、八幡信仰で全国に知られ、大陸文化を我が国に輸入し、日本文化の興隆となされた神で、文化の交流によって新しき文化を創造され、その貴い教えは、聖教の徳として、また子供を愛し、はぐくみ育てる大変をもち、聖母(しょうも)信仰も厚い。





◆西殿四社(白山神社/熊野神社/秋葉神社/稲荷神社)



御神德記 西殿四社
一稲荷神社
祭神 倉稲魂神(くらいねたまのかみ)
この祭神のいねは「生き根」のことで、人々の生命を養い育てる根基で、稲荷は稲生或は稲成の意とされ、五穀成就の神として、すべての人を生かす食の根源であ生命の祖神」とされる、よって蔵神・市神の徳を有し、農業、工業、商業等の生産と販路拡大、商売繁盛守護神として信仰が厚い、
秋葉神社
祭神 加具土神
この祭神は、火の力を掌る神で、人間に火の知恵を授けそして人間は火の力なくして生活はできない古代の農耕も焼畑栽培に始まり、食生活の上でも、照明暖房をはじめ諸エネルギーを掌り、火の神、防火の神、農耕の神、工業の神としての信仰も厚い。
熊野神社
祭神 伊耶那岐神(いざなぎのかみ) 伊耶那美神(いざなみのかみ)
この両祭神は、人類を生み育てる男女の祖神であり現世(常世の国)を極楽世界とし、また永遠なる世(幽世)に安住することも掌り、中世以降、熊野信仰として全国に及んでいる。
縁結び、延命長寿、永遠なる魂の世界の守護神として、信仰が厚い。
白山神社
祭神 白山地味神
この祭神は、人生に和と結びの道を授け、いよいよ新しい人生を開拓する力を与え拾うのである。 生産者には生霊の力を、商売の人には人を引きよせる結緑の穂を人の世の交際に和の心を与え給う白山信仰で商道の神和解調停、回心などの信仰も厚い。







◆石塔





◆小祠





◆水波能売神/御井


水の恵みについて

 生命の維持に欠かせない水、汚れを灌ぎ清める一一一人々は水の働きに神の力を感じてきました。
 この地球上に生命の大本が形成され育まれたのは水の中でありました。 地球環境汚染が進行している今日、水を大切にした先人の「心」の継承は深い意義があります。
 この水は、地下一二五メートルの水脈から汲み上げている清水です。また、溢れる水は再び地下に浸透させています。
 どうぞ 「生かされている」 神様の恵みに感謝の心をもって、々の暮しに励まれますようご祈念致します。






◆撫で牛



神明宮司 宮崎久和識
 当神社には、学問の祖神と仰がれる菅公も合祀されております
 公は承和十二年の三年、六月二十三日の三の刻に誕生、生涯牛を大切にし、その徳を経世の基となし、梅をもって風月の友とし、松をもってその姿とせり
 御神号に、天満大自在威徳天神と称せられるように
 学徳識見ともに古今無双志操堅固、至誠一貫、清明正大、よって学問に志し、励む人から熱く崇敬されている





◆小川村開拓碑



 承応3年(1654) に玉川上水、翌年野火止用水が完成すると、小川九郎兵衛は明暦2年(1856) 新たな馬場の開設と、玉川上水野火止用水の分水地点から武蔵野乃一本榎に至る地域の開発、および玉川上水から開発地域への分水を願い出て、許可を得ました。小川村は、その後幾多の困難に耐えて明治に至り、小平村の母体となって今日の繁栄を見るに至りました。
 大正7年(1918)、小川九郎兵衛安次(やすじ)十世の孫彌次郎が、 九郎兵衛 250年祭を修行するにあたり、村民と協力して、その功績を永久に伝えるため建立したもので、安次の出自、事績、小川村開拓の由来が記されています。





◆参道





◆用水





◆鳥居





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