2024/04/12 羽村取水堰(投渡堰)


「固定堰」と「仮設堰」(投渡堰、なげわたしぜきと呼ばれる)を組み合わせて構成され、世界でもここだけとされる。
投渡堰とは、固定的な支柱の桁に仮設材として丸太や木の枝を柵状に配置したもので、増水時には桁を上げて仮設材を意図的に多摩川本流に流下させることができる。これは、圧倒的な自然の力に逆らうことなく堰や水門を守り、洪水を回避する目的で設けられたもので、堰が設置された当初からほぼ変わらず現在に至っている。
固定堰と投渡堰の境には、かつて江戸(東京)へ木材を運搬する目的で設けられた筏の通し場が設置されている。
この羽村取水堰から玉川上水土手の約1キロメートルの間は桜の名所でもある。このため東京都水道局は東京水道名所の一つに選定している[1][2]。
なお、当所には玉川上水の開削に携わった玉川兄弟の銅像が建立されている。
羽村取水堰 - Wikipedia





堰の筏通場(いかだ とおしば)
 「きのう山下げ きょう青梅下げ あすは羽村の堰落し」 と筏乗り唄にうたわれたように、 多摩川上流から伐り出す青梅材を江戸 (東京)に搬出する筏乗りにとって、羽村の堰は最大の難所でした。
 享保 3(1718)年、江戸幕府は筏が通過することにより堰が破損するという理由で、 筏通しを全面禁止しました。 その後、羽村以西の三田領 42ヶ村の筏師仲間が幕府へ堰通過の再開を嘆願したことなどもあり、享保 6 (1721)年に新たに筏通場が設置され、 特定の日時を限っての通過が許可されました。 以来、堰を下る壮観な筏落しの風景は、 大正時代 (1912年〜1926年)の末ごろまで見かけられました。











◆玉川兄弟の碑







土木学会選奨土木遺産の碑







◆給水塔







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