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https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2025/01/19/193000
京所道(きょうづみち)の名は、この道が京所の中心を通ることに由来します。 この道は、甲州街道が開設(慶安頃=1648~52)されるまで、初期の甲州への道として重要な役割を果たした道です。
大國魂神社東側の鳥居すぐ近くだった。
細馬(ほそま)の名は、この道が朝廷いへ貢進する良馬(細馬)を試走させた馬場だったことに由来します。 『延喜式』によれば、武蔵国は五十頭の馬を貢進することが定められていたようです。
◆武蔵国府跡
別のページで。
2025/01/19 武蔵国府跡 - ovanの社会科見学
google mapのマークは上の写真の所辺り。
すぐ近くに鳥居が見えたが私有地っぽかったので外からお参り。
京所(きょうづ)は、現在の宮町二丁目の一部・三丁目(京所道沿い)に集落の中心があった村落です。この集落は、六所宮( 大国魂神社 )の社領で八幡宿に属しており、『 新編武蔵風土記稿 』(幕末の地誌)には「六所社領」の小名としてその名が見えます。
地名の起こりは、経所(きょうじょ)が転訛したものといわれており、ここに 国府 の写経所のような施設があった名残だと伝えられています。延宝六年(1678)の六所明神領の地検帳には「きょう女」の字があてられています。京所のように「京」のつく地名は、国府の所在地には多くあります。この地域からは数多くの掘立柱建物跡が検出されており、 武蔵国 の国府(国衙)跡として有力なところです。
◆文字庚申塔