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◆鹿島坂

真ん中位に「ちはやふるデザインマンホール」、左側に鹿島坂の碑がある。

坂の名は、大國魂神社の例大祭に深い関わりのある人名に由来するといわれます。五月の例大祭に「国造代奉弊式(ほうべいしき)」という古式があります。これは、国造代(奉弊使)が神馬に乗って坪の宮におも向き、神輿渡御(みこしとぎょ)の完了を告げたあと、鹿島坂を上り、甲州街道を東上、御旅所へ参向して奉弊を行うというものです。この式は、古く社家の鹿島田家がその役を担っていたため、この坂を「鹿島田坂」と呼び、後に、名前の一部をとって「鹿島坂」となったようです。
◆下河原線踏切事故者供養塔

事故があったんでしょうけど、WEBではどんな事故だったのか調べることが出来なかった。
◆髙安寺

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2025/04/05 髙安寺 - ovanの社会科見学
◆片町碑

片町(かたまち)は、現在の片町一・二丁目の一部(甲州街道沿い)に集落の中心があった村落です。
この集落は番場宿に属しており、幕末の地誌『新編武歲風土記稿」には「番場宿」の小名としてその名が見えます。
片町は、徳川家康が江戸に入続後、新しく整備した甲州街道の開通(慶安頃—1648~52)に伴いできた町です。
地名の起こりは、街道の南側に名利高安寺があり、町場が北側の片方だけに発達したことによります。
この辺りには、国府に関連する片町・高倉遺跡などがあり、発柁調査の結果、住居型が数多く発見されており、古代にはかなりの規模の集落が存在していたようです。
◆高安寺のケヤキ・弁慶坂

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