2018/09/11 王子散歩 03 月の湯/西谷戸新橋/地蔵/西ヶ原二丁目児童遊園/六石坂/えびす湯/飛鳥山公園

この日記のエリアは王子駅近辺(南東側)
飛鳥山公園には何度も来ているのにその周囲は全然巡ったことがない。



月の湯






◆西谷戸新道




WEBで調べたが検証が必要だねぇ。
暇を見つけてイロイロ調べてみます。




◆地蔵




google mapには「地蔵」とあったが、「青面金剛」の部類だと思う。
あまり詳しくないので、わかる方がいらっしゃったらコメントお願いします。




◆西ヶ原二丁目児童遊園





これは何の花だろう?
一輪しか咲いてなかった。




食べられるかな?(w




◆六石坂






 東京府村誌に「長さ二十四間 広さ三間 元と坂上に租六石を納る水田あり故に云ふ」とある。江戸切絵図には「六コク坂」と記されている。
 この道は岩槻街道(旧日光御成道)で、飛鳥山の前へと続いているため花見時などには賑わいをみせた。
 付近にはこの辺りに鷹狩などに来た将軍の休み場としての御立場(おたちば)もあった。




◆えびす湯




飛鳥山公園

公園のこちら側は来たことがないなあ。


旧渋沢家飛鳥山

 飛鳥山公園の南側一帯には、日本の近代経済社会の基礎を築いた、渋沢栄一の自邸が所在していました。現在、敷地は飛鳥山公園の一部になっていますが、旧邸の庭園であった所は「旧渋沢庭園」として公開されています。
 渋沢栄一は明治三十四年から昭和六年に亡くなるまでの30年余りをこの自邸で過ごしました。当時の渋沢邸は現在の本郷通りから「飛鳥山の3つの博物館」に向かうスロープ付近に出入り口となる門があり、邸内には、和館と洋館からなる本邸の他、茶室や山形亭などの建物がありました。残念ながらこれらの建物は昭和二十年の空襲で焼失してしまい、大正六年竣工の「晩香廬」と大正十四年竣工の「青淵文庫」のみ、「旧渋沢庭園」内に現存しています。「晩香廬」は、渋沢栄一喜寿の祝いとして、「青淵文庫」は傘寿と子爵への昇格の祝いとしてそれぞれ贈呈されたものです。どちらの建物も大正期を代表する建築家の一人で、清水組(現清水建設)の技師長を務めた田辺淳吉が設計監督しています。当時の世界的なデザイン・美術の運動の影響を受けた建築であることが評価され、平成十七年、「旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫)として二棟が重要文化財(建造物)に指定されました。



続く。