2019/03/17 方南町散歩 07 向山遺跡/区立済美教育センター/区立済美児童遊園/堀之内熊野神社/堀之内二丁目公園/旧和田堀町役場跡

まだ環七沿いに北上。
先はまだ長い・・・・。




◆向山遺跡




 向山遺跡は、杉並区堀之内二丁目五番に所在する区立済美教育センター(旧区立済美教育研究所)の敷地一帯を中心とした、古墳時代後期(約1400年前)を主体とする集落跡で、昭和六十二年に発見されたものです。本遺跡周辺には、善福寺川の蛇行によって形成された沖積(ちゅうせき)低地が広がり、水源豊富な低地上に集落が営まれていました。
 昭和六十二年に実施された発掘調査では、古墳時代後期の住居跡二軒および平安時代の住居跡一軒のほかに、縄文時代中期の土器片、江戸時代後期のごみ集積場一箇所、明治から大正にかけて使用されていた灌漑用水路が検出され、この遺跡が複合遺跡であることもわかりました。
 検出された古墳時代の住居は、灌漑用水路によって一部破壊されていましたが、床上や貯蔵穴内からは、当時の日常的な雑器である甕(かめ)・甑(こしき)・附(つき)・椀等の土師器(はじき)類、糸を紡ぐ道具である紡錘車(ぼうすいしゃ)も出土しています。
 また、江戸時代のごみ集積場には、当時の日常的な雑器である瀬戸・美濃系の陶器類、キセル、かんざし、刀子(とうす)・釘などの金属器類、泥めんこ・泥人形・土笛等の土製玩具類とその抜型、釜・土瓶等のミニチュアの飯事(ままごと)道具類が一括して廃棄されている状況が確認されました。
 本遺跡は、杉並区内で江戸時代の遺構が発見された数少ない遺跡です。






◆区立済美教育センター





◆区立済美児童遊園



◆堀之内熊野神社




 当社は旧堀之内村の鎮守で、大屋津姫命(おおやつひめのみこと)・五十猛命(いそたけるのみこと)・抓津姫命(つまつひめのみこと)の3柱が祀られています。社伝によれば当社は文永4(1267)年に、紀州(現和歌山県)の熊野三山を勧請したのにはじまり、室町時代北条氏綱が上杉頼興を破り、江戸を攻略した際社殿を修築し祝祭を行い、江戸時代の寛永11(1634)年にさらに修繕を加えたと伝えられています。別当は村内の妙法寺明治維新までつとめていました。江戸時代の当社の様子を『新編武蔵風土記稿』は「社は四尺に三尺南向、拝殿ニ間に三間……前に鳥居を立つ」つと記しています。
 総欅造りの社殿は「安政4年(1857)2月吉日氏子当村住人「井上龍三」と銘が刻まれ、その精巧かつ豪華なことは区内随一といわれています。また、桧造りの幣殿は大正12年の造営で、この時旧幣殿を現在の神楽殿に改修しました。昭和29年稲荷神社・第六天王社の合殿社を改新築、同35年社務所の新築、社殿の整備を行い、同46年奥殿土台石の修復、神楽庫の新築等、今日の景観を整えました。
 当社にある文化五(1808)年奉納の石鳥居は区内で最も古いものといわれ、また大正12年9月1日の関東大震災の当日、浅草で買い求め猛火の中を無事帰着して納められた「火伏の神興」が、祭礼の際には町内を渡御(とぎょ)します。なお、当社には古くから奉納された絵馬・額等も多く所蔵されています。




第六天神




楽殿




鳥居





◆堀之内二丁目公園




◆旧和田堀町役場跡





続く。