2019/12/13 砧散歩3 06 旧小坂家住宅(瀬田四丁目小坂緑地)

岡本公園民家園の後は旧小坂家住宅へ。
世田谷区って古い建築物かなり多いね。






 この住宅は、衆議院議員などを歴任した小坂順造 1881~1960)が、別邸として建てたものです。立地する国分寺崖線を上手く利用した
屋敷配置により、良好な住宅空間を演出しています。
 主屋は外観を和風、内部は各部で趣の異なった意匠でまとめ、別邸ならではの個人の趣向をこらした住宅になっています。特に玄関部分は古
民家風の意匠をとっており、大正から昭和前期にかけて流行した民家風和風住宅を意識的に取り入れています。
 当時の政財界人の生活 · 文化意識を良く表現しており、建築史、文化史を知る上昇で貴重な遺構です。
 また、当時この辺りに多くあった別邸は、現存するものが他になく、地域史を知る上でも重要な住宅となっています。




茶の間



居間

こちらは主人と客人しか入れないお部屋だったという。


居間の天井

この太い板は屋久杉だそうだ。
昔、現地では米は取れなかったので屋久杉を年貢にしていたんだそうだ。


入側

廊下の畳の部分を「入側」、板の間の部分を「縁桁」というらしい。
入側はお付きの人が待機している場所だったと説明があった。


茶室

広い茶室だった・・・・。


書斎

暖炉の中にあるのは電気のヒーターだった。





内倉

左側の大きい扉が倉の入り口。
倉の前が広いのはお宝をお披露目する時に客人が多く見られるようにとのこと。
GM製の冷蔵庫が写真真ん中に写っている。
車屋さんが冷蔵庫つくっていた時代があったんだね。



ベッドルーム

広いベッドルームだ。




ベッドルームの暖炉の中にあるのも電気のヒーター。
シャンデリアは当時のものだそうだ。




小坂さんの肖像。



サンルーム



更衣室(クローゼット)




更衣室にあったミシン。
三菱製で電動とのこと。



電話室



外(反対側)



ガイドしてくださった方がとても博識で、勉強になった。
敷居や畳のヘリを踏まないのをちゃんと見ていて褒めてくれたのは嬉しかったなぁ。
ちなみに畳のヘリを踏んじゃいけないのは床下にひそんでいる賊が、
畳と畳の隙間から槍や刀で刺そうとするのを警戒していたためとのことだった。




瀬田四丁目小坂緑地



 瀬田四丁目日小坂録地は、世田谷区の緑の生命線である国分寺崖線の斜面樹林の一部であり、園内には区指定有形文化財「旧小坂家住宅」と、紅葉と竹林が美しい湧水の流れる庭園があります。
 ここは、かつて衆議院議員などを歴任した小坂順造氏の別邸として利用されていました。 多摩川が近く、国分寺崖線の緑が多いこの地域一帯には、明治から昭和にかけて建てられた別邸が多くありました。都心から玉川電車で往来できるこの辺りは、当時の財界人の週末住宅として絶好の立地でもありました。
 昭和12年に建てられた「旧小坂家住宅」は、別邸として現存する貴重な近代建築です。木造和風平屋建(一部2階建)で、萱葺き風の古民家を思わせる外観を持ち、南向きの斜面を利用した庭園と一体となった美しい景観を形成しています。また、庭園部分はコナラやトチノキなどの大きな樹木が武蔵野の雑木林の面影をとどめており、崖面からあふれる貴重な湧水は園内に潤いを与えています。散策路や木道を回遊しながら、国分寺崖線のみどりとみずを身近に感じられる空間となっています。 ぜひお気軽にお立ち寄りください。

※この国分寺崖線の自然的環境を活かした旧小坂家住宅と庭園を後世に残すため、世田谷区が公園緑地として取得し、平成10年から一般公開しています。




小坂邸の崖下の茶室に住んだ 横山大観

 日本画家·横山大観池之端の本宅から小坂邸の茶室に移り住んだのは、昭和20年3月9日のこと。大観の娘である横山美代子さんは、当時のことをよく覚えていらっしゃいます。「瀬田に住んでいらした画家の堅山南風先生が、空襲が激しくなることを案じて、お知り合いだった小坂さんに頼んでくださったんです。
 大観先生夫妻は、本当に身ひとつで瀬田に移りました。空襲で本宅が焼けてしまったのは翌10日のことでした。
 「玄関をあがると少し広いお座敷があり、奥には6畳間もありました。こちらにはお風呂がありませんでしたから、樹林の中の坂を登って
小坂さんのお宅までお風呂をもらいに行うたものです。」
 大観はこの茶室で3か月の時を過ごしました。



庚申塔




 この庚申塔二基は、玉川四丁目三十六番に所在した幽篁堂(ゆうこうどう)庭園内にあったものである。幽篁堂庭園は、骨董屋を営んでいた本山豊實氏が昭和初期に田圃地を借り上げ築造し、その店名にちなんで命名したと考えられる。同庭園はその後数度にわたり所有者が変更しているが、東京オリンピック前には不二サッシ(株) 関連の所有となり吉田五十八氏の設計になる迎資館建設、飯田十基氏、小林善一氏らによる作庭が行われた。二つの池を流れにより結ぶ園内には、他から移築した和風接客棟、二棟の茶室など大小の建築物が配され、更に添景として多数の石造物が所在した。平成十三年七月、庭園の廃止に伴いこれら石造物の多くは他に引き取られることとなったが、この二基の庚申塔は世田谷区に寄贈され、この地に移された。











旧小坂家住宅のHPはコチラ↓
旧小坂家住宅 | 世田谷区ホームページ



場所は東急二子玉川駅から徒歩約18分。
休園日は、月曜日(但し月曜日が祝日の場合は次の平日)、及び年末年始(12月29日~1月3日)とのことですが、行かれる方は事前にHPなどでチェックしてから行ってくださいネ。