2020/12/05 築地・銀座散歩 02 築地警察署/亀井橋/築地川亀井橋公園/首都高銀座インター/専修大学発祥の地/明治会堂跡

銀座と築地の境目を行ったり来たりしながら南西方向へ進む。



◆築地警察署







◆亀井橋

下は築地川だったんだそうだが、埋立てられて首都高速都心環状線になっている。



橋の反対側は公園(築地川亀井橋公園)になっていた。









◆築地川亀井橋公園







◆首都高銀座インター







専修大学発祥の地



専修大学明治13年9月16日 ここ 東京市京橋区木挽町2丁目14番地に 経済及び法律の専修学校として発足したことに始まる。
創立者は 相馬水胤, 田尻稲次郎, 目賀田種太郎, 駒井重格の諸先達で 建学の精神は 社会に対する報恩奉仕であり 質実剛健, 誠実力行は学風である。







◆明治会堂跡



 明治会堂は、明治十四年(1881)、福沢諭吉 の発案により建設された演説会場です。瓦葺き木造二階建て、建坪約620㎡の擬洋風建築で、福沢の親戚である藤本寿吉(ひさきち)により設計されました。
 当時の演説会場としては、福沢の建てた三田演説館など若干の施設が存在しましたが、規模などの面から、多くの演説は本来演説会場ではない貸席、劇場、料亭などで行われていました。これらに代わる施設の整った演説会場として明治会堂は建設されました。
 左の錦絵「明治会堂之図」の説明文に、「会場の広間は三千人を容れ、食堂には二百人の席を設くべし、講義室あり事務室あり結構至らざる所なく実に東京第一の会堂なり」とあり、当時としては、会食もできる東京随一の演説会場で、政談演説をはじめ、各種演説・行事が頻繁に行われました。明治十五年に立憲改進党の結党式がここで行われたほか、明治十六年には鹿鳴館に先駆けて日本初の西洋舞踏会が行われました。
 明治十五年末に福沢の所有から農商務省の手に渡り、明治十七年には厚生館と改称されて使用されましたが、明治二十三年(1890)に民間に払い下げられた後、大正十二年(1923)の関東大震災で焼失しました。








続く。