あちこち散策しながら徐々に南下し環七へ出る。
坂上。
この坂道の名前は、大正・昭和前期に活躍した出版事業家で、講談社の創立者でもある野間清治(のませいじ)氏(1878~1938)の旧別邸前の坂だったところから由来しています。現在、野間氏の旧別邸跡地は北区立稲付公園となっており、区民の憩いの場として親しまれています。
『野間 清治(のま せいじ、1878年12月17日 - 1938年10月16日)は、講談社創業者であり、元報知新聞社社長。「雑誌王」とよばれ、昭和時代前期の出版界を牽引した。 』
野間清治 - Wikipedia
◆水車の坂
坂上。
現在は石段(北区西が丘2-27-12地先)となっていますが、昔はこの下に水車小屋があり、近くの農家が利用していました。水車に荷を運んできた馬が坂の途中から落ちて死んだこともあり、お稲荷さんと馬頭尊とが並んで立っていました。現在は稲付川も暗渠となってしまい、水車もありませんが、石段は西が丘から十条銀座を通って十条駅へ向かう通勤の人でにぎわっています。
梅木小学校前に建っていた。
こちらのページに詳しく載っている。
良くまとめられていて素晴らしい。
東京第一陸軍造兵廠跡地散策・その2(滝野川・王子編)
坂上。
十条仲原の台地から稲付川(現在は暗渠 あんきょ)に下る坂です。大正時代から戦前まで、坂下の川下にあった川魚料亭が游鯉園で、この坂の名前は、その料亭の名に因んで付けられた俗称です。明治の頃、坂下に水車小屋があり、旧稲付村(ほぼ、現在の赤羽西、西が丘、赤羽南にあたります)の農家がよく利用していました。
◆西音寺地蔵堂
続く。