2021/05/07 南千住散歩 02 山王清兵衞祠/南千住日枝神社/千住大橋/足立市場/千住宿の奥の細道/道標

日光街道へ出て千住大橋隅田川を渡る。



◆山王清兵衞祠



 南千住7丁目20番地付近から現在の隅田川に沿って台東区今戸に向かう道は、土手になっていて砂尾堤と呼ばれた。中性の石浜に砂尾長者とよばれる土豪が住み、この地を領していたことに因むという。石浜の地は古代から、武蔵国(東京都・埼玉県・神奈川県東部)と下総国(千葉県北部・茨城県南部・東京都東部)をつなぐ交通の要地であり、砂尾長者は、15世紀半ば千葉氏が内紛により下総国を逃れ石浜に入った後、家臣としてこの地に住んだといわれる。台東区橋場にある砂尾不動院の開基とも、中興ともいわれる人物である。
 この一帯は昔から広範囲にわたりしばしば水害に見舞われた。汐入堤とも呼ばれたこの堤近くには昭和初期まで、砂尾・堤根という字が残っていた。
 

お地蔵様








◆南千住日枝神社

中へ入れなかったので外からお参り。



 日枝神社は、江戸時代山王社とよばれた旧中村町(千住宿)の鎮守であり、正和5年(1316)に建てられたと伝える。
 この社の入口にあたる旧砂尾堤土手北端に歯神清兵衛を祀った小祠がある。いずれかの藩士清兵衛が虫歯の痛みに耐えかねてこの地で切腹し、遺言によってその霊を祀ったという。俗に山王清兵衛とよばれ、歯痛に悩む者が祈願して効き目があれば、錨をくわえた女性の絵馬を奉納する慣わしで、千住の歯神として有名であった。









千住大橋

下は墨田川。












◆足立市場

こちらは以前来たことがある。
そういえば今回市場敷地内にある「千潮金刀比羅堂」に行かなかったなあ・・・。
2016/06/30 part3 熊野神社/千住大橋/足立市場/千潮金刀比羅堂/松尾芭蕉像 - ovanの社会科見学








千住宿奥の細道


松尾芭蕉



平成十六年は芭蕉 生誕三百六十年に当たり当地旧日光道中の入り口に石像の建立が実現しました。
千住は奥の細道 への旅立ちの地であり矢立初の句
「行く春や鳥啼き魚の目に泪」の句が残されています。
此の先の旧道は元やっちゃ場の地であり明治以降は正岡子規高浜虚子 も訪れていて特に高浜虚子は青物問屋の主人で為成善太郎(俳号 菖蒲園)を直弟子として活躍させています。又虚子の命名による「やっちゃ場句会」も開かれていました。
芭蕉像に到る足下の敷き石はやっちゃ場のせり場に敷かれていた御影石です。
もしかしたら芭蕉曽良の旅立ちを見送っていた敷き石が有るかも知れません。
遠い江戸の遥かな空へ夢とロマンを掻きたてます。
人生は人それぞれにさまざまな旅立ちがあります。
奥街道を旅する事で何かを感じるかも知れません。
  遙かなる奥の細道



大名行列



今をさかのぼること約三百年前より、ここ千住は日光街道 の始点として重要な宿駅でありました。
 日光街道は江戸時代、五街道の一つとして当時最も良く整備された幹線道路でした。そして、奥州・関東の諸大名による参勤交代 のための大名行列が往来する主要な道でもありました。
 昨今の近代化に伴い、鉄道が敷かれ、道はアスファルトで整備され当時の面影はほとんどなくなってしまいました。
 馬や人々の足だけで街道を往来していた日光街道の歴史が少しでも偲ばれるよう、ここに大名行列を再現してみました。









◆道標

左 旧日光道中 / 右 国道四号











続く。