2023/10/11 日野八坂神社


『応永5年(1398年)に創建された。この年に普門寺が開山、普門寺の鎮守として「牛頭天王社」が創建されたのが当社の起源である。その後元亀元年(1570年)に現在地に移転した。
寛政12年(1800年)には精巧な彫刻を有する本殿が建造された。1869年(明治2年)、神仏分離により普門寺から切り離され、牛頭天王信仰が否定されることになった。そこで牛頭天王から素盞嗚尊に祭神を変更し、「八坂神社」に改称した。
1961年(昭和36年)10月1日には本殿が日野市指定文化財に指定された。 』
八坂神社 (日野市) - Wikipedia




八坂神社本殿
 本殿は、棟札により寛政12年 (1800年)に再建されたもので、 大工棟梁は武蔵国大里郡上吉見領村の須長伊右衛門源国信・織江源信安父子であることがわかる。 一間社々殿としてはかなり大規模なもので、間口二間奥行二間半・ 棟高五間・総欅造り・流造りの正面屋根に千鳥破風と軒唐破風を設け、建物の壁面は床上・床下ともに中国故事をはじめ、昇龍降龍・牡丹に唐獅子・ 波に鯉等の浮彫り透彫り装飾を取付け, また柱・梁・貫及び高欄にいたるまでその木部表面に獅子頭・龍頭・頭の木鼻、葡萄と波・菊花・牡丹等の浮彫り・透彫りの文様を彫るなど,きわめて装飾的な社殿となっている。 ただし, すべて素木で彩色はない。 神社の記録によれば,本殿両扉・南側面大壁の彫物などは、明治3~5年に仲井の彫師平野治助によって修理された。
 郷村の鎮守本殿としては、規模もかなり大きく、その華麗な彫刻装飾は、時代の好みを表わす力作で、江戸後期における神社建築・装飾彫刻の粋を集めた優れた作品である。なお現在本殿は神明造りの覆屋で保護されている。





甲州道中分間延画繪(こうしゅうどうちゅうぶんけんえず)





◆八幡社





◆山王社





◆御神木






◆筆塚





◆天然理心流奉納額

安政五年(1858)天然理心流近藤周助の門人であり、佐藤道場で稽古に励んでいた二五名によって八坂神社(当時は牛頭天王社)に奉納。
 欅板に大小二本の木刀が架けられている。
 最後に嶋崎勇とあるが、後の近藤勇のことである。
 最後から二番目に名がある沖田次郎は後に総司と改めている。
 正式入門が安政六年の土方歳三の名前は無い。
 八王子千人同心、井上松五郎と弟の井上源三郎の子孫は今でも日野で近藤勇の子孫と共に「天然理心流勇武館」を組織し、流派を継承している。





◆鳥居





◆パネル展示

昭和3年、 八坂神社覆屋、神輿庫改修時の記念写真
写真の裏書きには 「昭和三年九月二日、八坂神社覆殿及ビ神輿奉安庫、 雑社神殿工事竣工記念トシテ此ノ写真ヲ撮影シタルモノナリ」 とあります。





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