『創建年代は不明である。ただ世田谷領主吉良氏によって創建されたといわれていることから、室町時代の創建であると推測される。江戸時代は烏山村の鎮守であり、明治時代には村社に列格している。
1932年(昭和7年)、これまで「白山神社」と称していたが、「白山御嶽神社」に改称した。1962年(昭和37年)、近くの「天神社」「神明社」「稲荷社」を合祀し、「烏山神社」に改称した。
関東大震災朝鮮人虐殺事件を受けて13本の椎の木が植えられ、うち4本が参道の両側に現存する。当事件では、烏山神社から程近い旧甲州街道で、京王電鉄笹塚車庫の修理に向かっていた朝鮮人が地元自警団に襲われ、15名が負傷、1名が死亡した(烏山事件)。その後、襲撃した自警団は烏山村の13人(もしくは12人)を含めて殺人罪で起訴された。「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」が1987年に発行した『大橋場の跡 石柱碑建立記念の栞』によると、「郷土愛が強く美しく優さしい(原文ママ)人々」が「晴れて郷土にもどり」、それを関係者一同で記念して植樹したとある。 』
烏山神社 - Wikipedia
烏山神社
一、主祭神 白山比咩大神
相殿祭神 御嶽大神
合祀祭神 天照皇大神 菅原道真公 倉稲魂命
一、境内神社
招魂社(明治以降の戦没者)
稲荷社(倉稲魂命)
一、 由緒
当社創立年代及び古代由緒沿革等は不詳ではあるが、古来烏山村の鎮守社は御嶽神社と伝えられ、江戸幕府の行った大検地の元禄検地張に「白山権現社地 三反二畝二八歩 (九八八坪)村持ち」とあり、江戸末期の嘉永三年(一八五〇)に御嶽神社を白山権現社に遷宮合祀したとの記録もあり、古くから白山様として烏山はもとより近隣の鎮守として、広く信仰を集めている。
明治六年に村社となり、明治四〇年には、神饌幣帛料供進指定社となる。
大正七年には本社殿、幣殿、拝殿、水舎、北門鳥居等の大改築が行はれ、昭和七年白山御嶽神社の社号認可。昭和三十七年には町民氏子の大同協和をはかり、町内の神明社、稲荷社、天神社を合併合祀し、又従来の白山御嶽神社を烏山神社と改称する。
昭和三十九年、神楽殿増改築。 昭和四十年、招魂碑を建立し、社務所を新築する。
昭和五十七年、拝殿周囲を設備、同年上宿、中宿、下宿三町の神輿庫、祭器庫を新築し戦後の神社復興の拳証とした。
祭神は白山比咩大神をはじめとする五柱。創立の由来はあきらかではないが境内の手水鉢には元文元年(一七三六)の紀年がある。
白山御嶽神社ととなえていたが、昭和三十七年町内の天神社、神明社、稲荷社を合祀し、烏山神社と改称したものである。
このあたりには泉沢寺という寺があったが、天文年中(一五三二~五五)に橘樹郡(現在の川崎市内)に移され字名として残っている。
◆神楽殿
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